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このブログは福田文庫の読書と創作と喫茶と煙草……その他諸々に満ちた仮初の輝かしい毎日を書きなぐったブログであります。一つ、お手柔らかにお願い致します……
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lufo.gif 小説にせよ音楽にせよ作り手の人間性というものは出てくるし、事の他、恋愛感というものは結構強めに影響したり表れたりする。
 そこでこの『UFOと恋人』である。この作品の一曲に「きらめき」という歌がある。祖父に(高齢になってまで生きていて)辛くはないか? と孫が問う冒頭から始まるこの曲だが


 実はラブソングだったりする。
 だがしかし、「そして人生は続く」のような直球で高齢者による恋愛を描いた曲ではない。
 噛み砕いて説明すると、「きらめき」という歌は愛なんて存在していないけれどそれでも出会いは確かに存在するし、恋仲になるくらいの相手との出会いは祖父が孫に出会えたことと比べてまるで遜色ない「きらめき」がある……てな歌である。まぁ、解釈は人それぞれだろうから、これはあくまで私見ですが。

 大槻ケンヂの恋愛感というのは、意図してか無意識かは知らないが、あくまでも作品間でのそれは諦観がある。
 「きらめき」であれば、愛は存在しないと言い切り、また「香菜、頭をよくしてあげよう」では、二人の恋もいつか終わるのだからと共にいる内から離別した後のことに頭を巡らせて、それを愛する術だと歌う。
 ソロで言えば「ロコ! 思うままに」などは傑作と推すに値する一曲であるし、この曲をテーマにした小説も大槻氏は執筆している。
 しかしながら、私はこの小説を未だ読んではいないのであくまでも曲からのイメージで話すが、床に伏したまま病室から出れないロコとの逢瀬を重ねる主人公の歌だと思う。この主人公にロコは色々な話を聞かせる。だが、病室にいる彼女の話すそれは総て物語であり、絵空事に過ぎない。異国で恋をしたり、楽になったり、そんな作り事を聞いたふりしながら、主人公は思うままにままに生きてみろと願う。良いことしかないさ、と。
 どこまで夜なのだろうか、と主人公が問うところからもロコは恐らく助からないのだろう。そして彼女が話す誰かと恋に落ちたりする物語を聞き、思うままに生きろと願う彼もまた恋愛を諦観した者だ。哀しいくらいにネガティブな純愛だと思う。
 
 大槻ケンヂの歌う恋愛感とはまぁ総じてこんなところだと思う。諦観だ。暗い、夢がないという反論は大いにあろうが、私は地に足の着いた純愛だと賞したい。
 こうした諦観の恋愛感を感じる作家に私は、米澤穂信氏を挙げたい。最近読むようになりすっかり感化された作家さんである。
 とは言え、あれこれと偉そうに語るほどの読書量ではない。「古典部シリーズ」と「四季シリーズ」に『犬はどこだ』を読んだだけである。ここでは「古典部シリーズ」を取り上げたい。
 この「古典部シリーズ」と称される一連のシリーズには男女二組の主要人物がいる。主人公の折木奉太郎にヒロインの千反田える、そして折木の友人である福部里志に彼と折木の幼馴染である井原摩耶花の四人だ。
 この井原は福部を好いており、これを公言しているし、福部は自らの信念に葛藤を感じるが、伊原をまた好いている。ここはもう最初から決定している。だが、この二人は四冊出たシリーズの中では決して仲は進展せずに平行線を辿っている。しかも、話が進むにつれてその平行線は気が遠くなるほど長いことを再確認させられる内容になっている。
 また折木と千反田もまた、まるでくっ付く様子はない。別にお互い悪く思っているということはない。折木は無駄なことはしないし、するなら手短にという省エネ主義であるし、千反田は嫌味のない優等生タイプだから誰にでも人当たりは良い。
 こんな二人の関係が大きく変化を見せるのが、四作目の『遠回りする雛』である。この作品は連作なのだが、表題作の中で折木は千反田が困っているのでそれを助けるのは無駄なことではない……みたいな発想を自然とするまでになってしまう。そして千反田もまた折木に自分の住む土地を紹介したかったと言い、自宅の縁側で肩を並べたりする。
 作品の最後で、折木は千反田に言いたい思いを素直に口に出来ない気持ちを思い知り、
「寒くなってきたな」
 と呟くと、
「いいえ。もう春です」
 と千反田はゆっくりと微笑むのだ。
 しかし、この「春」は同時に二人の別れも意味している。来学年より二人は文理選択で、違う道を選んだことがこの前に語られているからだ。たかが、文理選択だろうと一蹴しても構わぬが、米澤氏ほどの作家が無駄にそんな話題を入れてくるとも思えない。四作も読者を惹きつけておいて、ようやく兆しが見え始めた二人の関係の最後に、高校生らしい別れの印象を添える……米澤氏もまた、どこか諦観にも似た素直ではない恋愛を描く。

 確かに歌にせよ小説にせよ、恋と別れは付き物だ。世間的には随分と大手を振ったものをよしとする傾向が強いように感じて久しい。スペクタクルを大きくした挙句に、やっぱり死んでなかっただの、軌跡が起きただの、でもやっぱり壮大に死にましただの……こうした派手な振る舞いの端的な例が韓国ドラマの流行だろうと思うが、私はどうにも好かない。
 憎しみあった家同士の若者でなければ恋愛は美しくないのか? 恋人の命に危機が迫らなければ気持ちが盛り上がらないのか? そんなことはないことは現実を鑑みればすぐにでも分かる。
 確かに現実にないものを絵空事に求めることは決して間違った要求ではない。だがしかし、我々はもはや魔法使いや変身ヒーローに健全と憧れる年齢ではなくなったのだ。そうした空想におけるシニアにとって、恋愛とはもう少し地に足の着いたものであって欲しいと思う。
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福田 文庫(フクダ ブンコ)
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1984/06/25
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 24歳、独身。人形のゴジラと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。
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