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このブログは福田文庫の読書と創作と喫茶と煙草……その他諸々に満ちた仮初の輝かしい毎日を書きなぐったブログであります。一つ、お手柔らかにお願い致します……
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6b824c61.JPG 久しく更新をしていなかった訳であるが、別に身内しか来ないのでふて腐れていた訳ではなく、一応はアラサーになっても追い続ける新人賞獲得に向けて日夜キーボードを叩き続けていたという事情ゆえであった。
 とは言え、市電での通勤になったため車内での携帯電話の使用が不可能になり、通勤時間にもチマチマと小説を打つことが出来なくなったので、最近はまたよく本を読むようになったので、一区切りが付いたこれからはまた、立場を省みない口だけ達者な書評を書きなぐってやろうと考えている。近頃は古本屋に足を向けるのが億劫になっていたので、もっぱら本棚に押し込んでから手にとっていない本を端から読んでいるのだが、買ったは良いが読まなかった本の筆頭が西澤保彦氏のタック・タカチシリーズだったので立て続けに読んだのだが、ここでは詳細を書かないものの、結論としてこのシリーズは面白くないと判断するに至った。その中でも取り分けひどいのが短編集『黒の貴婦人』で、まともな推理は皆無に等しい上にまたレズビアンカップルで一本書いているのが個人的に気に入らなかった。別にレズビアンが嫌いなのではなく、この人はそういう分かりやすい精神的な問題を華やかな装飾として安易に使い過ぎる気がしてならないのだ。
 どうも最近は良い本を購入していないことが多く、書評を書けば面白くないだの駄作だのと、まるでクレーマーのようになっていたが、荻原浩先生の『ハードボイルド・エッグ』は非常に面白かったので、どうにか文句ばかりを垂れ流す下衆な書評行為から脱出を図れそうである。あー『明日の記憶』の作者かぁと読み終わってから気付いた。

 前置きが長い上にあまり本編と関係ない話だったのだが、久しぶりに習作として新人賞には使えなさそうなネタを一つ消化してみた。フランス語でエチュードだが、そう書いてみると習作と呼ぶのもはばかられる内容だが、個人的には気に入っていたネタなので、恥を忍んでのアップとさせて頂く。
 ちょうど電車通勤に変わったことと、借家の向かいにあるコンビニの店員が態度悪いという二重の不幸に見舞われたことで腹いせに書いたというのが実際のところだが、そう恨み辛みばかりで作品を書くと何だか恨み節みたいになってしまうので登場人物を一人増やしたりしてみた。北海道地名駅名シリーズである。



「飯亭論議 折鶴」
 
 その日、私は珍しく市電に揺られていた。
 私の住んでいるアパートから最寄りの公共交通機関は地下鉄であるし、籍を置いているH学園大学は猫の額ほどのキャンパスを補うウリとして地下鉄駅直結を謳い文句にしているため、日頃はなかなか市電に乗る機会には恵まれないからだ。
もっとも、いかなる交通機関にも移動手段以上の価値を見出すことのない私にとって、札幌の中心部に敷かれた路面電車のレールの先に目的地がなければ、乗る機会に恵まれなくとも大いに結構である。そもそも、市電は一車輌で走っているので必然的に座席数も限られてくる。そうなると車内が混雑するのも必至な訳で、車内では読書をして目的地への到着を待つことにしている私にとってはあまり好ましい環境でもない。座席に腰を下ろせばもう少し読書へ没頭出来るのかもしれないが、私は地下鉄にしろ市電にしても、あまり席には座らない。
だがこれは別に読書と同時に足腰の鍛錬に励んでいるのではなく、ただ単に席を譲るという行動を取りたくないからである。同じ推理小説愛好会に所属している澄川女史に言わせれば、「部長は優し過ぎる」との好意的な解釈を頂いているが、私にしてみれば一度座ってしまったら目的地まで絶対に立ちたくないというだけのことなのだ。しかし世間の目を気にしてしまう小市民的なところのある私は、お年寄りや体の不自由な方には席を譲りましょうという標語に逆らうだけの心胆がない。だったら最初から座らねーよ畜生め、と思いつつ、毎回吊革を頼りに読書に耽っている。
そんな訳だから、私がその男性に気付いたのは目的地まで数駅というところでようやく文庫本を鞄にしまってからであった。
どうせなら目的地に着くまで読めば良いのだろうが、これもまた小市民的な発想の所以で、降車する時にもたつくのが嫌なのである。市電の運賃は百七十円。プリペイドカードを買っておけば地下鉄でも市電でも利用できて便利なのだろうが、以前に通学用にと購入した五千円分のカードを紛失した時以来、私は現金主義を貫いている。運賃投入箱には両替機も付いているが、目的地に着いてから小銭を両替して降りるなんて真似はしたくない。かと言って、混み合う車内で人の背中を押しのけたりせずに運賃投入箱まで辿り着くにはそれなりの時間も必要な訳で、結果として私は数駅前で読書を終わらせて財布を開く……どうやら今回はスムーズに降りることが出来そうだ。そう思い、顔を上げた私の視線の先にその男性がいたのである。私の立っている場所に程近い席に座るその男性は膝を揃えて俯いていた。その横顔から窺える年齢は恐らく、定年を間近に控えてセカンドライフの過ごし方を思いやる頃に見受けられる。鼻のてっぺんに大きな黒子があるものの、それ以外で私の目を惹くような要素は特にない。問題は、男性の手元にあった。
(折り紙とはまた変わった時間の潰し方だな……)
 俯く男性が見つめる先では指先が忙しなく動いている。真っ白い紙を器用に操りながら男性が折っていたのは鶴であった。それも頭と尾の部分の対称性を崩した、俗に言う変形折鶴である。聞いたことはあったが、実物を見たのは初めてである。確かにあれだけのものを折れば時間を潰すことも出来るだろう。しかし何でまた折り紙なのか。
そんな勝手なことを考えている内に、車内アナウンスが流れる。次の駅で降りなくては……そう思って降車ブザーに手を伸ばしたが、誰かが先にブザーを押した。見ると、あの折り紙の男性である。その手にはすでに折り紙はなく、ゆっくりと腰を上げていた。同じ駅で降りることにどこか運命じみたものを感じた私だが、興味本位でその後を尾行しようとまでは思わなかった。
いや、普段の私ならばもしかしたら折り紙に隠された意図があるかもしれないなどと下らない妄想に走り尾行することも厭わないのだが、今日ばかりはそんな推理小説好きの悪癖も疼かない。理由は簡単である。これから人と会う約束があるのだ。こちらとしてはデートだと勝手に思っているので、身の丈に合わない感情も手伝って、折り紙の男性に対する私の興味は駅に降り立つとすぐにホームを後にしていった男性の後姿と一緒に小さくなっていった。
 
「わざわざありがとうございました」
「いやいや、それほど大したことをした訳じゃないし……」
 微笑む彼女――沼ノ端さんを前にして、私は幾分か恐縮してしまった。謙遜でも何でもなく、本当に大したことはしていないからだ。ただ図書館をぶらぶらと散策して歩き、目ぼしい推理小説を本棚からピックアップしては彼女に薦める。それだけのことである。
「私、推理小説のこと詳しくないから一度、誰かに詳しく教えて貰いたかったんですよね。興味はあったけど、周りで読んでいる人って少なくて」
「俺の説明で参考になったんなら嬉しいよ」
「なりましたよー。お陰で暫らくは読む本に不自由しなくて済みそうです」
 嬉しそうに積み上げた貸し出し本を眺める沼ノ端さんを見て、私も出不精の性格に鞭打ってまで図書館に出掛けてきた甲斐があったと改めて思った。それにこんな時でもなければ、私が自分から図書館に足を向けることは滅多にない。自ら大学で推理小説愛好会を立ち上げ、部長を名乗っているくらいだから、私も本好きの端くれではある。だが、本を借りるという行為はどうにも性に合わず、キャンパス内にある図書館さえも利用しない私がこの中央図書館にやって来たのはかれこれ五年ぶりである。あの頃はまだ、こんな喫茶スペースも館内には併設されていなかった。
「そういえば、本借りないんですね?」
「あ、俺? うん。何ていうか、自分の身銭を切らないとなかなか読む気にならなくてさ」
「へえ。じゃあさっき教えてくれた本は全部家にあるんですか?」
「ある……と思うよ」
 言葉を濁したのは最近では蔵書が溢れ返り、その大半を段ボール箱に入れて押入れにしまい込んだからだ。貧乏大学生の私が住まうアパートでは本棚も満足に並べられない。今でも地震が来れば確実に本の下敷きになる覚悟をしているくらい、手狭なワンルームを更に本棚で狭くしている。
「読書家ですねー」
「そうでもないよ。他の大学のミス研連中と比べれば雲泥の差だよ」
「そうなんですか」
「そうなんですよ」
 頷く私に沼ノ端さんは大いに感心したように嘆息した。実際、私の場合は高校から推理小説を読み始めたので、ミステリファンとしては遅咲きの方なのである。だから、世間で言うミステリ好きが幼少期にしたような、少年探偵団やシャーロックホームズの活躍に胸躍らせる経験のない私は、少なからず自分の読書遍歴に劣等感に似たものを持っている。
「あ、煙草がないや……」
 沼ノ端さんが愛煙家ということもあってか、安心して煙草に火を点していたが、気付くともう煙草が残っていなかった。図書館内にある喫茶スペースということもあってか、どのメニューも味が優れない割には値段は一人前だ。これ以上、旨くもないコーヒーに出費してやるつもりもない私にとって、コーヒーカップも空で煙草もないというのは口が寂しくてならない。
「あ、私ので良かったら吸って下さい」
 気を利かせて沼ノ端さんが自分の吸う煙草を勧めてくれたが、私は大丈夫と首を振った。気持ちはありがたいが、彼女の吸っている銘柄はメンソールは強すぎて、私には少々刺激的だった。
「ちょっと買ってくるよ。沼ノ端さん、ここら辺で一番近いコンビニってどこ?」
「図書館のすぐ近くに一軒あるんですけど……少し遠くに行ってもらった方が良いかもしれないです」
「それは……どうしてまた?」
 私の何気ない質問の答えに言いよどむ沼ノ端さんの意味ありげな言葉に私は思わず首を傾げた。近いならばそれに越したことはない。私の吸う銘柄がコンビニで見かけないものであることにまで配慮してくれてのことならば頭が下がる思いであるが、どうせどこまで足を伸ばしてコンビニ行脚をしても私の好んで吸う銘柄は売ってはいないだろう。他県での限定販売銘柄を取り扱う煙草屋でわざわざ買ってきているものだから、出先で不意に煙草が切れたときには好き嫌いせずに何でも吸うようにしている。
だが、沼ノ端さんが近場のコンビニを推薦しなかったのには違う理由があるそうだ。
「コンビニエンスストアというか、個人経営のお店なんですけどね……ちょっとそこの店主のおじさんが面倒な人で。自分の気に入らないお客さんには本当に嫌な感じなんです。よくカウンターでお客さんと喧嘩しているんですよ。特に若い喫煙者が嫌いみたいで」
「はぁ……よくもまぁお店なんて開いてるね、その人」
「私もそれは不思議に思います。でもここら辺は住宅街でお店が他にないですから、それなりに繁盛はしているみたいですよ。朝の通勤時なんかも混み合ってますし。行かない人は絶対に買い物しないですけど」
 ということはきっと、沼ノ端さんもその行かない人の中の一人なのだろう。しかし、それにしてはよく店のことを知っている。そう思って聞いてみると、
「私の住んでいるアパートのすぐ前にあるんです。だから出掛ける時には必ず前を通るんですよね。市電の駅に行くには必ず通る道なんで」
 とのことだ。話を聞く限り、私がその店の店主に気に入られる要素は皆無だし、何よりもそんな店でわざわざ買い物をしようとも思わない。沼ノ端さんには悪いが、私は腰を上げると遠回りをして煙草を買いに行くことを告げた。すると彼女も腰を上げた。
「それなら私も一緒に行きますよ。口で説明するよりも案内した方が確実ですし」
「いや、そんな悪いよ。少し待っていてもらえればすぐに戻ってくるから」
 口ではそう言って、机の上の小説を片付け始める沼ノ端さんを止めてはいるものの、正直なところを言えばこれでこの場がお開きになるのが少しばかり名残惜しく思えていたのだ。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は荷支度を済ませるとさっさと歩き出してしまった。だが、すぐに振り向くと、
「せっかくですから煙草を買った後、お食事でもしませんか? 私の好きなお蕎麦屋さんがあるんですよ」
 この沼ノ端さんからの予想外の申し出に私は言うまでもなく頷いた。
これはもしかしたらという自惚れがすぐさま頭を過ぎったが、腕時計を見るととっくに昼を過ぎていた。世間ではランチの時間を通り越してお茶を楽しむ時間である。腹の虫にも気付かずに話し込んでいた自分に苦笑しつつ、図書館を後にした。
 
「そう言えば、あのお店で不思議なことがまだあるんですよ」
遠回りをしてようやく煙草を買い蕎麦屋を目指す道中、沼ノ端さんは思い出したようにそう呟いた。
「あのお店って、その店主が変わっているお店の?」
「そうです。あんな性格でお店なんかしているのも不思議なんですけど、それよりも最近はもっと不思議なことを見つけたんです」
 季節は三月。北国の札幌でもようやく思い出したように雪解けが始まり、足元の悪くなった道を選びながら歩きつつ、沼ノ端さんは続けた。
「私、仕事行くのにほとんど毎朝そのお店の前を通るんですけど、最近になって決まった時間にあるお客さんがいることに気付いたんです」
「へぇ。話を聞く限りじゃ、通い詰めたくなるようなお店じゃないけど、変わった人もいるもんだね」
「それが、買い物はしていないんですよ。いつもコピーを取っているだけなんです」
「コピーを取るだけ?」
「そうなんですよ。そのお店、基本的にはコンビニと同じような作りになっているんで、外に面して大きなガラス窓になっているんですけど、入り口のすぐ側にコピー機があるんでよく見えるんです。私も最初は気にしてなかったんですけど、毎朝通るたびにコピーを取っているのが同じおじさんだって気付いたんです」
「でも、もしかしたらコピーした後に買い物したりしているんじゃないのかな?」
 私も家にコピー機なんてものはないから、たまにはコンビニに設置されているコピー機のお世話になることもあるが、大体は買い物の前にコピーを済ませることが多い。買い物袋片手にコピーするのを無意識に避けていることもあるし、私の近所にあるコンビニはちゃんとした全国チェーン店としてマニュアル教育が行き届いており、コピーした紙の束を抱えたままレジに立つと、気を利かせた店員さんが袋に入れてくれたりするのが嬉しかったりするからだ。しかし、
「私、気になったんでそのおじさんのことを少し見ていたことがあるんですよ。普段より少し早く家を出て、そのお店の軒先にある灰皿の前に立って見ていたんです。でも、そのコピーのおじさんはコピーを取り終わるとすぐにお店を出て行ってしまうんです。何日か続けてみたんですけど、いつも結果は同じでした」
「うーん。それじゃあ、そのおじさんは純粋にコピーをしたいだけなんだね」
 それにしても、気になったからといって何日も継続してお爺さんを観察した沼ノ端さんのバイタリティは素晴らしいものがある。推理小説愛好家としての素質を密に感じながらも、私は彼女の言わんとしていることを考えてみた。
「つまり、沼ノ端さんは毎朝決まってコピーを取るおじさんの正体が気になるっていうことだね」
「そうなんですよ。コピーを取っているなと思って煙草に火を点けていたらもうお店を出て行くなんてことも多かったんで、きっとコピーはそんなに多くないはずなんです。そんなちょっとのコピーを毎朝取るのは何の為なんだろうと思うと気になっちゃって」
 確かにそれは気になる。もしこの話を横から普通の人が聞いていたとしたら、そんなに気になるのならば本人に直接訊けば良いじゃないかなどと野暮なことをおっしゃるかもしれないが、それでは意味がないのだ。私たち推理小説を愛好する者が退屈な日常に見つけたささやかな謎に求めるものは、単なる事実ではなく限りなく事実に近いと思える空論なのである。早い話、推理したいだけだ。
「毎日コピーを取るおじさんか……」
 煙草を吸えば、立ち上る紫煙のように考えが絶え間なく浮かび上がる訳でもないが、私はとりあえず買ったばかりの煙草の封を切った。火を点けて煙を吐き出すが、これといった解答はやっぱり出てこなかった。
「そのコピーのおじさんは、コンビニでコピーする必要がある訳だよね。ということは、その人は仕事のためにコピー機を使っている訳ではないと思うんだ」
「どうしてですか?」
「うーん。断定は出来ないけど、仕事の上でほぼ毎日コピーを欠かさず取らなきゃならないような業務であれば、会社にコピー機がある方が自然だと思うんだよね」
「あぁ、なるほど。そうですよね……コピー機もない会社なんて、きっとそんなにないですもんね。それに、コピーを取る枚数はすごく少ないから会社の資料とかをコピーしている感じでもないよね」
「うん。だけど、おじさんは絶対にコピーを取る必要はある状況にある人なんだ」
 これには沼ノ端さんもすぐさま同意をして頷いた。言うまでもなく、店の外からでも分かるくらい客とやり合うような店主のいる店にわざわざコピーを取りに行くという行為がその必要性を物語っている。然してコピーが重要でなければ、何もそんな店でコピーを取る必要はないだろう。いや、待てよ……
「どうしてわざわざその店でコピーを取る必要があるのかな……」
「え?」
「だってそんな店でコピーを取らなくたって、コンビニくらいいくらでもあるじゃない。そしてコピー機の設置されていないコンビニなんて、俺は見たことないよ」
 現に私たちが煙草を買いに行ったコンビニはちゃんとコピー機が置かれていた。もし仮にその店の近所に住んでいて、自分の私用で毎朝コピーを取る必要があったとしても、私たちのように少し足を伸ばせば接客マニュアルに則った扱いをしてくれる普通のコンビニがあるのだ。だとすれば、他のコンビニでは駄目な理由があるはずだ。
「沼ノ端さん。そのお店にしかない特色って何かない?」
「えっと、店主の感じが悪いです。あと立地条件が良いです。あの近辺に住んでいる人達の利用する交通機関は市電しかないですし、その市電の駅に向かうにはあのお店の前を通るのが一番近いんです……って、さっきと同じ情報ばっかりですよね。すみません」
 ぺこりと沼ノ端さんが頭を下げた。どうやら既存の情報だけで推理を組み立てなくてはならないようである。もしこの話が本格推理であるならば、出揃った情報のみでコピーのおじさんの不可解な行動に十分な説明をすることも出来るだろうが、生憎と現実は小説ほど親切ではない……などと考えているうちに、沼ノ端さんお気に入りの蕎麦屋が見えてきてしまった。古めかしい暖簾を下げた蕎麦屋を指差して「とろろ蕎麦がとっても美味しいんですよ」と笑う沼ノ端さんの横顔が、何故だか推理の一つも捻り出せない私を憐れんでいるように思えてしまい、我ながら情けない気持ちになってくる。無論、彼女はそんなことを思ってはいないだろうが、推理小説愛好会の部長としては、どうにか暖簾をくぐるまでに考えをまとめておきたいのだ。そうしなくてはせっかくの蕎麦も、首を傾げているうちにのびてしまう。何か、ヒントはないだろうか……
「あ、そうだ。沼ノ端さん」
 もうこうなればどんな情報でも構わない。そう思って私が口にした適当な質問が、この不可思議なコピーおじさんの正体を一気に解き明かすこととなる。それは、
「そのおじさんって、どんな人だった?」
 
 次の日――
 私はまた市電に揺られながら読書に耽っていた。
 とは言え、昨日とは逆で中央図書館から大通に向かう電車に乗り込んでいた。それに搭乗時刻も随分と早く、早起きに何よりも自信のない私は結局、今日のために徹夜を敢行するという判断を下した。その結果は一勝一敗で引き分けといったところだ。一睡もしなかったお陰で、大学に入ってから朝と昼を間違え続けてきた私が今こうして早朝時の電車に乗ることが出来ている訳だが、先ほどから目の前に並ぶ活字がまるで頭に入ってこなかった。それどころか先ほどから小刻みに揺れる電車の振動に何度も夢の世界に誘われ、片手で開いた小説を取り落としそうになっていた。もしも横に琴似がいれば「最低の探偵だな」と舌打ちされていることだろう。本格ミステリを愛好する我々の中では、小鷹信光を読む琴似はどちらかと言えばハードボイルド寄りなのだ。尾行中にチンピラではなく睡魔と闘う探偵は彼の趣味には合わないだろう。
(おじさんは今日も電車に乗って折り紙か……)
 私はいい加減、ページの進まない読書は諦めて早起きをした目的のおじさんに視線をやった。今日もまたおじさんは座席に腰を下ろして白い紙で何かを折っている。その形の良い鼻筋のバランスを崩す大きい黒子は、たった一度見かけただけの私でも忘れようのない特徴であった。そして、それは沼ノ端さんにとっても同じであった。
 昨日、蕎麦屋の軒先で私の尋ねた質問に、沼ノ端さんはややあってから思い出したと手を打って答えてくれた。「そうだ。鼻のてっぺんに大きな黒子があったんですよ」と。
(折り紙おじさんとコピーおじさんが同じ人物だったとはね)
 この事実に気付いてからは、机上で空論を並べ立てるのに私はそう苦労はしなかった。湯気立つ鴨南蛮を啜りながら、私は向かいで美味しそうにとろろ蕎麦を食べる沼ノ端さんにその空論を話した。要するに、このおじさんは私と同じで小市民的なだけだったのだ。
 あのおじさんは毎朝、市電に乗ってどこかに出掛けるのが日課となっている。だが、私が昼前に中央図書館前で電車を降りた時、一緒に下車したところから考えるに恐らく彼の行き先は勤め先ではないだろう。不景気で世のお父さん方の残業が減ったと言っても、昼前に帰してくれるほど企業も仕事不足ではないはずだ。
 ともあれ、おじさんは仕事で毎朝電車に乗っている訳ではない。ということは電車のホームに向かう前に、彼が必ず例の店で態度の悪い店主を尻目にコピー機を利用しているのは仕事のためではないということにもなる。ではおじさんは何のためにコピー機を使っているのか。それは百円硬貨を崩すためである。
「え、どうしてですか?」
 私の辿り着いた結論を耳にした沼ノ端さんの第一声である。もっとも彼女の疑問は至極当然のものと言えるだろう。車内にはわざわざ運賃投入箱に両替機能を付けているのだ。普通に考えれば、小銭がなければここで両替をすれば済む話である。だが、そんな風に考えられるのは、沼ノ端さんが世間一般の方々と同じく普通の感覚を持ち合わせているからである。私にはおじさんの気持ちが分かる。おじさんが降りる中央図書館前の駅も、そしてこれから降りるであろう目的の駅もきっと、終着駅ではないはずだ。もし終着駅であれば黙ってじっと座っていれば車内に自分と運転手以外いなくなり、落ち着いて両替をすることも出来るだろう。だが、終着駅でなければ車内は乗客で混み合い、運賃投入箱まで辿り着くには、その人の波を掻い潜って行かねばなるまい。毎朝そんな思いをしなければならないと思うと、私はとても耐えられない。そしてまたあのおじさんも耐えられなかったのだ。
しかし、市電の駅を目指す道中でお金を崩せそうな店といえば例の店しかない。若者が煙草を買うだけで機嫌を損ねる店主に両替など頼みたいと思う訳がないだろうし、商品を買うのも避けたいと思うのは小市民なら当然の発想である。そして、追い詰められたおじさんが選んだ手段、それは……
「コピーを一枚取るんだよ。別に原稿を用意する必要はないんだ。おじさんは百円を崩して、十円を七枚以上手に入れたいだけなんだから」
「運賃が百七十円だからですね」
「そう。沼ノ端さんが煙草を吸おうと思っていたらおじさんはすぐにコピーを終えていたと言っていたけれど、それはそうだと思うよ。おじさんは原稿を回収する必要もないし一枚コピーすれば十分なんだから」
「うぅん。でも何だか勿体無いですね。たかが十円、されど十円ですよ。おじさんは毎朝使い道のない白紙を買っていることになるんですよね?」
 食後に出された蕎麦茶を飲みながら、沼ノ端さんは小さくため息をついていた。だが、その心配には及ばないことを私は彼女に伝えた。おじさんは決して資源を無駄にはしていないのだと。十円で買うことになった白紙は、おじさんの手の中で折り紙として扱われているのだから。
 昨日の話を思い返して、私はおじさんの手元を盗み見る。どうやら今日も鶴を折っているようだ。本当の折り紙ならばカラフルな鶴が誕生するところだが、コピー用紙を使っているおじさんの手の中で生まれた折鶴は本物と同じく白い翼を広げている。その翼はぱたぱたとはためく。おじさんが尻尾を動かして動作チェックをしていた。暇つぶしとは言え、どうやら完成度にはこだわりがあるようだ。
 その時、おじさんが鶴を完成させるのを待っていたかのように駅名を告げるアナウンスが流れた。おじさんが鶴を胸ポケットにしまい込むと、立ち上がり降車ブザーを鳴らした。私も本をしまうとおじさんの後に並んだ。今日はあらかじめ小銭を用立てておいてあるので余裕がある。とは言え、折り紙を嗜むほど繊細な指先を持たない私は自分の家の近くで缶コーヒーを買って崩してきた。
「ありがとうございました」
 私は聞こえるか聞こえないかといった小声で運転手に礼を告げる。これもまた小市民の特徴である。つい口走ってしまうが、相手に聞こえているかどうかは重要ではない。要するにお礼をちゃんと言ったという自己満足なのだ。
 先に下りていたおじさんはゆっくりとした足取りで信号を渡っていく。私もその後を追おうと思ったが、その行く先にある建物を見つけて足を止めた。どうしてすぐに思いつかなかったのだろうか。折鶴と言えばここである。
「病院か」
 大きな総合病院である。市内で暮らすものは大抵一度はお世話になっているだろう。私も中学生の頃に一度盲腸で入院した記憶がある。盲腸程度の入院では誰も鶴など折ってはくれなかったが、あのおじさんが見舞う相手は、鶴が千羽折れてしまうくらいの時間は入院が必要なのだろうか。
「沼ノ端さんに間違った推理を披露しちゃったかな……」
 折鶴である必要性という新たなるピースを手に入れたことで、私の頭の中で完成したパズルはぼろぼろを剥がれ落ちた気がした。おじさんは別に小市民ではなく、折鶴を折る理由が欲しかったのではないだろうか。見舞う相手は自分の子供かそれとも奥さんか、誰にせよ面と向かって無事を願って鶴を折っていると伝えるのは気恥ずかしく思える、気の置けない相手ではないのか。そして毎日病室に折鶴を届ける度に、おじさんは言い訳がましく喋るのではないか。小銭を用立てるのにコピー紙が手元に残ってしまうんだ、と――
「……失業中でハローワークに通ってるのかと思ってた。失礼」
 病院の敷地に消えていくおじさんの背中を見届けて、私は煙草に火を点けた。眠気にやられた頭にはニコチンは更に不快であったが、これからの予定を考えるとそんな気分も晴れやかになっていく。私がおじさんの後を付けて推理の真偽を確かめに行くと教えると、沼ノ端さんは是非とも結果を教えて欲しいと、今度は行きつけの喫茶店を紹介してくれたのだ。彼女がアルバイトを終えるのにはまだまだ時間がある。大学の方まで足を伸ばして抜いてきた朝食を済ませよう……私は携帯灰皿に吸殻を捻じ込むと、駅のホームへと引き返した。
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コメント
無題
こんばんは、身内のQです
またもや身内でごめんなさい
アップすると事前に教えてもらったからドキドキしながら読みました
やっぱり謎があると小説は楽しいですねーなんでこれ賞に出さないんですか?
面白かったのに、新人賞向けじゃないってことでしょうか
有意義な時間をありがとうございました
またオススメの本があったら教えてくださいね
【2010/03/15 18:42】 NAME[Q] WEBLINK[] EDIT[]
無題
Qさん、コメントありがとうございます。
 身内の方々のご好意で成り立っているブログなのでもうそんな些細なことは気にしてないので大丈夫です。
 誉められて伸びるタイプだと勘違いしているだけで実際には伸びたりしないタイプなので、たまには酷評して下さいね。調子に乗るので……
 今度の新人賞にはもっとしょうがないネタを二つも盛り込んだある意味意欲作を送ります。どうせ落ちるのでその時はまたブログで読んで頂けたら幸いです。
 オススメの本は、またその内に何か紹介できたらと思います。少なくともブログで紹介している本はほとんどオススメじゃないので、読まないほうが良いですね。
【2010/03/16 02:20】 NAME[文庫] WEBLINK[] EDIT[]
無題
批評出来る程小説に慣れてないので…
今回のは今までのに比べるとあまり人が出てこないですね
登場人物が少ないのに単調じゃなく読者を飽きさせないっていうのは簡単じゃないことだと思います、お世辞じゃないですよ
ネガティブな私が言うのもなんだけど選ばれなかったじゃなくて、一次選考通過したってことを糧にしていってほしいです
ハードボイルド・エッグはオススメですか?買ってみようかと思ってます
【2010/03/16 03:11】 NAME[Q] WEBLINK[] EDIT[]


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プロフィール
HN:
福田 文庫(フクダ ブンコ)
年齢:
40
性別:
非公開
誕生日:
1984/06/25
職業:
契約社員
趣味:
コーヒー生豆を炒る
自己紹介:
 24歳、独身。人形のゴジラと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。
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