このブログは福田文庫の読書と創作と喫茶と煙草……その他諸々に満ちた仮初の輝かしい毎日を書きなぐったブログであります。一つ、お手柔らかにお願い致します……
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力のない過激派とは言え、口だけは一端のものがあり、運河が掴まえた中年の男も、彼女が袖の下にあるものをチラつかせるまでは排他的な態度で彼女らをあしらっていた。
「……運河探偵」
「何だ、ブンヤ」
「探偵いるところ事件ありって……本当なんですね」
文が感心したように呟く。その視線の先には土間で男が倒れていた。寝ているのではない、死んでいるのだ。いや、運河は正確を期すために言いなおした。その冷たい双眸は男の首筋に残る傷跡と、土間のあちこちに飛び散る血痕を目付けながら、
「何だろうな? 何か細く硬いもので首を刺したか……」
質素な民家で息絶えている男はこの家の主である。村に着いてすぐ運河が締め上げた(こちらは絞殺までには至らなかった)中年に彼女が尋ねたのは、この村で買い出しを担当している人間であった。
「こう閉鎖的だと里に降りる人間も当番制だと思ってな……」
「この人、パシられていたんですね……」
「お前のとこの白狼天狗みたいなものだな」
「あやややや、失礼な! 私はそこまで顎で使ったりしていませんよ」
「ふん、どうだかな……」
さして興味もなさそうに返事をしながら、運河は部屋の物色をしている。とは言え、前述したように質素な民家にそれほど捜すデッドスペースもなく、居間の畳をひっくり返したところで運河は手を休めると、
「やはり本は殺したやつが持っていったか……行くぞ、ブンヤ」
「え?」
運河の言葉に思わず振り返る文。しかし運河が気にも止めず、土壁の散乱した土間を男の死体ごと跨いで出て行ってしまう。彼女の頭には現場保存はあっても死者に対する追悼の念は余りないようだ。
「ちょっと待って下さい、運河探偵!」
「何だ、ブンヤ? 私はこれから真犯人を捜さにゃならんのだ。お前はあっきゅんの介抱でもしててくれ」
阿求はと言えば、村落に着くなり蹲ったままだ。そんな彼女に死体などで追い討ちをかける訳にもいかず、二人はそっとしていた。
「密室の謎はどうするんですか?」
「密室?」
さすがにこの単語には運河も足を止め、踵を返した。そんな彼女に文が追いつき、
「そうですよ。あの死体があったあの家、引き戸が開かなかったじゃないですか?」
粗末な板戸には用心棒でもしていたのか、いくら二人が引いても開かなかった。怒鳴ってみても返事もないので、運河は文に土壁を破壊させたのだ。そして土煙の向こうで二人を出迎えたのは、例の死体だったという訳だ。
「あのなぁ、ブンヤ。密室なんて言葉は軽々しく使うもんじゃないぞ?」
やれやれと頭を抱え、運河は諭すように言う。
「でも、私が疾風扇で壁を壊した時、中には誰もいないのに人が殺されていて……それに用心棒なんかなかったですし」
土間に転がっていたのは死体と土壁だけだった。板戸の前にも棒切れなどはなかったし、ましてや変な細工をした後すらなかった。それは運河も文のすぐ横で確認していた筈である。なのに、運河は頭を掻きつつ面倒臭げに、
「ブンヤ、世の中で密室と思われているものの八割は密室じゃないんだぞ。無理して鍵をかけた部屋か……もしくはだ」
「もしくは?」
「密室みたいになった部屋だ」
言うと、話は終わりとばかりに運河はまたさっさと歩き出してしまった。まだ理解しかねる文が後から色々と質問を運河の背中にぶつけてみるものの、まるで取り合おうともせずにズンズンと進んでいき、着いた先は殺された男の向かいに立つ家だ。こちらの方が若干古いくらいで、先ほどの家と変わらぬ粗末なあばら屋だ。運河は乱暴に戸を叩く。しばらくして、当然と言えば当然ではあるが、不機嫌そうな家主が顔を出して来た。殺された男に比べて、住んでいる人間もこちらの方が古い。
「何の用だ、うるせぇな」
「探偵だ。訊きたいことがある」
乱暴な振る舞いに詫びるでもなく運河は戸板に足を引っ掛けながら尋ねる。やはり当然だが、そんな態度の相手に機嫌の良く耳を貸す訳もなく、
「余所者に教えることはないね。さっさと失せろ」
後ろでやり取りを見ていた文は、あ~あと溜め息をついた。分からなくはないが、その女にそんな態度を取るだけ無駄なのに……と肩をすくめた文の予想通り、運河は奇術師が鳩を呼ぶみたいにデリンジャーを取り出すと、呆気に取られている男の顔に銃口を構えたまま、もう一度繰り返した。
「訊きたいことがある」
「……な、何でしょう?」
「向かいの家へ最後に訪れたのは誰だ?」
「そんなこと……本人に、訊けば良いじゃねぇか」
「出来ればそうするがね。死人に口無しと言うやつさ」
「な……!」
銃口以上の衝撃を受けたのか、男は言葉を失う。だが、隣人を亡くしたご近所さんを思いやる気持ちなど微塵も持ち合わせぬ運河は、
「良いから答えたまえ! 誰か来たろう? 知らんのか?」
「……坂田ってのが訪ねてきたみたいだが、上がりもせずにすぐ帰ってったよ」
「そいつの住まいはどこかね?」
「あっちに……」
「ふん。始めからそうやって素直に答えれば……」
と、その時だ――
ギャギュギョギャギュギョ!
まるで得体の知れぬ、耳を覆わさんばかりに醜い叫びが辺り一面に響き渡った。デリンジャーを前にして、口を動かすので精一杯だった男も、腰を抜かして震えていた。声がするのは……探すまでもない。
怪音を発しているのは、運河の帽子である。可愛くない猫の顔を描かれた、血で染め抜いて尚、血が足りぬほどの真紅に彩られた紅い帽子だ。
「ち……ブンヤの妖気を感じ取り、事を急いだか」
あれで、どうしてなかなか高位の力を持った妖怪であることを運河はすっかり失念していた。とにかく、彼女の見立てに狂いが生じたことに変わりはない。男が一人殺されたところまでは想定していたが、こんなにも早く黒幕とやり合う機会が巡ってこようとは……
「運河探偵! 何だか急にとんでもない妖気が……」
文が慌てて駆け寄って来た。その高位の妖怪がここまで動転しているのだ。一筋縄ではいかんだろうと、運河も表情を固くし、
「分かっている。ドルバッキーも猛っているからな」
「まさか、本を盗んだのって妖怪なんですか?」
「ま、正確には盗ませたんだろうし、妖怪かどうかは知らんが……射命丸」
「な、何です? 急に改まって……」
「あっきゅんを任せたぞ。あの子は戦闘など出来んからな」
殊勝にも頭など下げて阿求を文に頼むと、運河は駆け出した。
「って……運河探偵はどうするんですか!」
「知れたことを訊くな、ブンヤ。本を取り戻す!」
帽子の怪音と運河の背中がどんどん小さくなっていく。確かに阿求は闘いなど出来ないだろう。誰かが守ってやらねばならない。しかしだ、文は逡巡する。ここまでさんざ事件を追わせておいて肝心のクライマックスで子守とは、どうにも納得がいかないじゃないか、と。
ならば、彼女が取るべき行動は一つしかなかろう。即ち、阿求を庇いつつ戦闘に参加する……これしかあるまい。
「待って下さいよ、運河探偵! 私も行きますよ」
漆黒の翼をはためかせ、文は運河の後を追った。向かう先は村落の奥、人の身で飛び込むには無謀を絵で描いたような妖気に充ち満ちていていた……
六章
火星運河。
その能力は、真実を見抜く程度の能力であり、これ以上ないと言えるくらい探偵である彼女にはお誂え向きな力である……と、誰もが考えるだろう。
だが、それは少し違う。
何故なら、直感的に真実を見抜くことはそれ自体がそれだけで能力としての存在意義を確立しているからだ。つまり、彼女は探偵などをせずとも預言者として脳裏に視えるビジュアルを口にしてもそれで充分に事は足りるのだ。
運河の行う探偵業とは、ある意味では能力の蛇足に過ぎないのかもしれない。この村落とそこに住まう者が盗みを働く光景が視えた時点で、またその本を盗むように吹き込んだ人間が得体の知れぬ力で口封じを謀る姿を視た時から、彼女は付箋をベタベタと貼った既読の推理小説をもう一度なぞらえるような真似を続けた。
それはとても退屈な作業かもしれない。そして、同じくらい辛いことなのかもしれない。結果を知ってなお、彼女はひた走らなければならないのだから。彼女の視た幻想郷が変わらず平穏であったなら、彼女は行かなければならない。自分がいかに無力であっても、どんな傷ついても、事件の先に待ち構えるその敵が例え如何なる化け物であってもだ……
それは蜘蛛であった。
巨大な蜘蛛に男が一人、跨がっている。この世にこれ以上愉快なものはないとでも言いたげに、口を裂いてから笑う男だ。誰の目にもその奇異は明らかである。憑かれているな……運河はそう判断するや、二丁のデリンジャーを構えた。
「おい、貴様! 盗んだ本をこちらへ寄越せ。こちらとしても無駄な経費は避けたいのでな!」
運河としても話が通じる相手とは毛頭思ってはいなかった。威嚇射撃のようなものだ。案の定、蜘蛛に跨がった男は運河の警告に耳を傾ける素振りも見せずに笑い続けている。と、化け蜘蛛が不意に天高く尻を突き上げると、シュッと一条の糸を放った。
見る見る間に空へと伸びて行く糸が不意に、ピンと張った。突き抜ける空の上、一体糸は何を捉えたのか……不味い! 気付いた運河は躊躇なく引き金を引いた。標的は化け蜘蛛がツルツルと伝い始めた糸だ。このまま行かせる訳にはいかない。そう、
「行かせはせんぞ! 結界にはな!」
立て続けに両手のデリンジャーが火を吹く。通常では考えられぬ轟音を響かせ、デリンジャーは天高く伸びた蜘蛛の糸を貫いた。
「く、早速四発も使ったか……」
忌々しげに吐き捨てながらも運河は手早く弾倉に弾を込める。音を立て墜ちた化け蜘蛛が、彼女をようやく敵と認識したからだ。ガチャガチャと八本の足を這わせる蜘蛛に跨がる男もまた、運河にその虚ろな双眸を向けた。
「ふん、シカトはもう止めか?」
「何故、邪魔立てをする……夜うつつ歩くものよ」
操り人形にも似た機械的動作で、男は運河を指差す。ご指名を受けた運河はジリジリと間合いを取りながらも、鼻で笑って見せる。
「何故? 決まっている。依頼を受けたからだ」
「真実を見抜く程度の能力を持ちながら、我々の前に立ち塞がるか? 貴様もまた、結界を憎む者ではないのか?」
能力と二つ名は元より、自身の公言はばかって来た思想にまで踏み込んで来た化け蜘蛛の男に、運河はいつになく苛立ちを露わにした。
「抜かせ、盗人風情が!」
横っ飛びに転がりながらデリンジャーの引き金を引く。銃声と共に化け蜘蛛の前脚が吹き飛ぶのと、今し方まで運河のいた地面を蜘蛛の糸が抉ったのはほぼ同時であった。
「確かに嫌いだね、こんな非論理的な世界も、八雲の連中もな!」
リロードをこなしながらも、運河はその足を休めることはない。前脚を失った化け蜘蛛は地面を抉った糸を振り回す。足下、頭上、中空と、運河目掛けて空を切る糸を彼女は最小限の身ごなしでさばいていく。地面に弧を描き荒れ狂う糸の追撃を飛び越えながら、運河は泥まみれのスカートはためかせ、一気に蜘蛛の背後へ回り込む。
「だがな。僕は貴様とは違う。手前勝手な都合だけでこの地を犯したりはせん!」
右手を下段、左手で上段に構え運河は狙いを付けた。火を吹く銃は百発百中、化け蜘蛛の後脚と男の脳髄が飛び散――
「な!」
瞬間。
衝撃と共に運河の視野が大きく下がった。打ち抜かれる筈であった男がゆっくりと振り向き、ケタケタと笑った。
「今度はお前が脚を失う番だ、探偵……」
運河に誤算があったとすれば、それは化け蜘蛛の吐く糸に対する認識の甘さ。
地面に突き刺さった糸は止まることなく、そのまま地中を貫き続けていたのだ。銃を構える標的目掛け一直線に……
「ふん。そんな戯言は僕の足をもいでからにするんだな」
口では平静を装うが、状況は危機的。地中から運河の足首を引きずり込んだ蜘蛛の糸はこうしている間にも運河の足を締付け続ける。とても振りほどけそうにない。
「そう死に急ぐこともない。そこで見ていろ……結界の、いや幻想郷の最期を」
「させんぞ!」
弾けるように振り上げた腕で一瞬に男を的に捉える。だが、
「無駄な真似はよせ……!」
刹那、運河の脇をすり抜ける疾風が一陣。
振り向けばそこには化け蜘蛛に跨がっていた筈の男が運河を虚ろに見下ろしているではないか。そしてその手には、
「盗むのは得意でな……」
運河のデリンジャーを男が構え直す。その銃口は運河の空になった掌を冷徹に見据える。
「次はその手の自由でも盗もうか……?」
「……好きにするが良い。だが僕の手は高いぞ?」
「だから盗む……代償を払わずとも済むからな」
笑う男は引き金に指をかける。主人に牙を向いたデリンジャーが火を吹いた――
「烈風扇!」
突如として巻き起こる風が銃弾を巻き上げた。
神風? 否、運河は聞き覚えのある声に感謝を述べるより早く両腕を精一杯突き出した――届く!
その手が、突風にまかれバランスを崩した男の手を銃ごと掴むや否や、運河は男の両手首をへし折る。ミシリを音を立てて力を失った男の手からデリンジャーが主の元へと帰った。
「ぐっ……この!」
「だから言ったろう? 高いとな」
弾込めは既に済んでいた。男が吼えるより早くデリンジャーが火を吹いた。
「お、のれ……」
四つの銃創がゴポリと血を吐き出した。勝負はあった。
「ふん!」
膝から崩れ落ち倒れ来る男の鼻っ柱を運河がデリンジャーで殴り飛ばした。その細腕からは想像も付かぬアッパーが、男の死体を地面に転がす。
「ち、飛ばしすぎたか……殴り足らんと言うに」
「まーた、そんな強がり言っちゃって」
依然として足を地面に突っ込んだまま、上半身だけでいきり立つ運河の横に、黒羽を広げた文が降り立った。荷物よろしく小脇に抱えられた阿求がジタバタと暴れながら、
「運河ちゃん! 大丈夫?」
「なに、心配いらんよ、あっきゅん。圧勝も何だから少し試合も盛り上げただけだよ」
「そうですか? 私が助けなきゃ試合終了って気もしましたけれど」
などと意地の悪い笑みを浮かべながら、文はすかさずシャッターを切り始める。
「やめんか、ブンヤ。写真なぞ撮る暇あるなら、さっさとアレを始末せんか」
運河がグイと親指をさす。跨がる男を失い、ハリボテのように佇む化け蜘蛛だ。先ほどの激しい戦闘が嘘のように、微動だにしない。
「うわ……気持ち悪いですね、私って蜘蛛苦手なんですよ」
「あたしもきらい……」
「蜘蛛が好きな婦女子などおらんだろ? つべこべ言わずに始末しろ、ブンヤ。また動き出したらどうする?」
「飼い主が死んだし、もう動きやしませんって」
あはは、などと愛想笑いを浮かべながらも一向にカメラを下ろさないところを見ると、どうやら本気で蜘蛛が苦手のようだ。運河はやれやれと溜め息をつくと、
「もういい。僕をひっぱり出せ。始末は自分でする」
――それには及ばん
「な……?」
「どけ、ブンヤ!」
叫び、運河が引き金を引く。デリンジャーが火を吹き、声の主を撃ち抜いた。だが、まるで手応えはない。それはそうだろう、運河が打ち抜いたのは、
「正体を現したか、盗人!」
運河が怒鳴る。そこには、死体から立ち上ぼる霧があった。いや、正確には霧状の何か、であるか。
「幽霊?」
「みたいだな。ブンヤ、あれなら始末出来るだろう?」
「お安い御用です!」
文が大地を蹴って扇を振りかざす。だが、
――貴様らにかまける暇はない!
霧がブワリと霧散する。何処へ? 振りかぶる運河の目に、化け蜘蛛へ群がる霧が見えた。
「いかん、あいつ蜘蛛に乗り移るぞ!」
――もう遅いわ!
「烈風扇っ!」
間髪入れずに巻き起こった突風を化け蜘蛛は大跳躍でかわす。その着地点は―
―
「くっ……ブンヤ、翔べ!」
「はい!」
運河の手を取り、文が翼を広げた。迫り来る化け蜘蛛の影が三人を覆う。
「ブンヤ、ひっぱれ!」
「やってますってば!」
――ズン、と蜘蛛の脚が地面を踏み付ける。
巻き起こる土煙、中から捩れるようにして文たちが翔び出した。
「くそ、だから早く始末しろと言ったんだ!」
低空飛行で地面に靴を擦りながら、運河は喚いた。
「仕方ないじゃないですか! 蜘蛛嫌いなんですから!」
「時と場合を考えろ! 好きだの嫌いだの言っている場合か!」
「埋まってたくせに……」
「何をぅ!」
「二人とも!」
いがみ合う二人を阿求が一喝する。
「それよりも、本が……!」
「何!」
異口同音、文と運河が振り返る。化け蜘蛛が、取り憑かれていた男の死体ごと、脚に突き刺し本を高らかに掲げている。
――このカンダタ、盗みをしくじることはない!
「たわけが、一度負けたくせに!」
「そうだそうだ!」
――精々吠えていろ。貴様らの負けだ……
化け蜘蛛はギシャアアと一声唸りをあげると、またも天高く糸を放った。早い。先ほどとは比較にならぬ速度で伸び行く糸はあっという間に上空の結界を捉えた。
――今度こそ、博麗大結界の最期よ!
から笑うカンダタの声が遠のいて行く。天空につたわした糸を化け蜘蛛は滑るように駆け昇り行く。
「ち……デリンジャーでは埒が明かんな。おい、ブンヤ!」
「分かってますよ。ほんと、人使い粗いですよね……」
ぼやきながらも小脇の阿求を下ろすと、文は運河の手を取った。
「運河ちゃん!」
バサリと、羽をはばたかせ今まさに飛び立たんとする運河を阿求が呼び止める。すがるような瞳が運河を振り向かせた。
「案ずるな、あっきゅん」
運河が、ほんの少しだけはにかむように表情を崩した。手が早く口の悪い運河も、この少女にだけは年相応の優しげな素顔を見せる。だが今はその訳を話す暇はない。運河は阿求の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「優秀な探偵は依頼を決して反故にはしないものさ」
「……うん! 絶対に、勝ってね」
その言葉に、運河は力強く頷くと文に目配せした。
「それじゃ翔びますよ。今までとは比較になりませんから、舌噛まないで下さいよ!」
「ごたくはいい。さっさと出せ」
翼が叩き付けた風に砂埃が舞い上がる。うっ……と阿求が顔を背けた一瞬の内に二人の姿は遥か空へと消えていた。
「連れて来たのは良いですが、どうするつもりですか!」
さすが幻想郷最速は伊達ではない。化け蜘蛛を追い抜き、その更に上空で身構えた文は、その後を追うように糸を伝い昇る化け蜘蛛の影を見据えた。
「簡単なことだ。僕をあの蜘蛛目掛けて投げろ。それだけで良い」
「え、いや……それは」
「誰も差し違えようなどとは考えてないから、早く安心してぶん投げろ」
ぶん投げろ、と運河は気安く言うが、さすがの文もこれにはためらいを覚えた。それはそうだ。羽もない魔法も使えない運河がこの高度から墜ちれば、当然ながら助かりようがない。しかし悠長に作戦変更の論議を交わすほどの時間は愚か、手を振りほどくことに躊う暇すらない。化け蜘蛛はすぐそこまで迫っている。不気味な輪郭がはっきりと見て取れる距離にまで。
「早くしろ、ブンヤっ!」
「もう……死んでも知りませんよ!」
投げやり気味で文は叫んだ。
開いた手の、指の間からスカートをはためかせ墜ちる、運河が見えた。化け蜘蛛目掛け一直線に……その時、あの怪音が再び響いたのを文は聞き逃さなかった。
「何なの、あの気味悪い声は……」
ボソリと呟いた文が、その正体を知ったのは、それからすぐだった。
「レッドキャップ……銃だ! 挽き肉屋を!」
空を墜ちる文が帽子に向かい、手を掲げた。すると、
ギャギュギョ!
耳障りな怪音と共に響く嗚咽音。見れば、帽子がズルズルと散弾銃を吐き出しているではないか。運河はその銃をしかと受け取ると、そのまま大きく振りかぶり、
「化け蜘蛛が! ミンチにしてくれる……っ!」
落下の勢いそのままに化け蜘蛛の空を見上げる頭上へと散弾銃を振り降ろした。
グオオオ……化け蜘蛛が唸りを上げた。飛び散る紫の血を浴び、なまめかしくも蜘蛛の眉間を貫き光るのは銃身ではない。カスタマイズされたその散弾銃は銃床に大振りの斧が、その刃を化け蜘蛛に突き立てている。
「レッドキャップめ、随分と良い趣味をしている……」
帽子の吐き出した兇器を振り上げ、運河はニヤリとほくそ笑む。
ドスン、ドスンと、運河が散弾銃を振り降ろす度に化け蜘蛛の目が口が、目茶苦茶に潰されて行く。まさにそれはミンチメーカー、運河の足場はすぐに血の海となった。
――気は済んだか? 無力な探偵よ……
蜘蛛に取り憑いたカンダタが肩で息する運河を冷笑する。その口振りには蜘蛛の痛みなどまるで響いてはいなかった。
――もはや止どまることはない。蜘蛛も、幻想郷の運命も……
ダン! ダンダン!
耳を劈く轟音と衝撃が蜘蛛をぶち抜く。挽き肉屋が火を吹いたのだ。だが、蜘蛛の動きは衰える様子がない。ただ糸を伝い続ける。
――何をしようと無駄なこと! 蜘蛛ごとかき消しでもせねばなぁ!
「だろうな……」
帽子をスルリと脱ぎ、運河は全ては終わったとばかりに冷めた笑みを浮かべながら帽子を胸にやった。
――黙祷か? この世との別れ惜しむか? それも良かろうなぁ! その特等席で見ているが良いわ、幻想郷の最期を!
から笑うカンダタ……その嘲笑を浴びながら、運河はただただ目を瞑り続け……だが、
「……いや、お断りだね」
――な?
「特等席? こんな血腥い席で辞世の句を謳うほど、ぼくぁ墜ちちゃいないね」
自分で目茶苦茶にしておきながらのこの言い草。運河は決して諦めた訳ではなかった。そう、
「準備は済んだ」
……古き廃墟に棲まうもの
……血の惨劇に笑うもの
……伸ばした爪を血で濡らし
……尖り帽子を染めるもの
「飯の時間だ、レッドキャップ……ドルバッキー!」
短い運河の詠唱と呼び掛けに応えるもの。彼女の胸元で帽子が甲高く吠えた。
「オメェノ血ハ……」
帽子が音を立てながら膨張していく。肉と骨がひしゃげていくような、不気味でいて不吉、そして残虐極まる殺戮のノイズを上げながら、その姿を現わした。
「オメェノ血ハ、何色ダアアア!」
「紫だよ……たまには赤以外も良いだろう? 邪妖精・レッドキャップ」
外の世界では、スコットランドとイングランドの境界地方に現れる究めて邪悪なアンシーリーコート(単独生活性妖精又は悪魔)。その容貌は醜い老人とも言われ、手にした斧で人間の血を求めるとされるが……
「アテにならんものだね、人の噂なんてものは」
「ダロウ? コンナイケメン掴マエテジジイ扱イタァナ……!」
――や、やめろ! く、食うんじゃないっ!
狼狽するカンダタの声に、レッドキャップは満足げに笑った。そう、
「活キガ良イジャネェカ! ウマソウダナ……!」
「あ。本は食うなよ? 返さなきゃならないからね」
返事は聞こえなかった。
無視している訳ではない。その残虐な牙で既に口一杯、血肉を頬張っていたからだ。
エピローグ
「じゃあ、やっぱりあれは密室じゃなかったと?」
後日――
再び相見えた文と運河はいつものカフェでカップと湯飲みを傾けていた。だが今日はパフェの注文はない。稗田家の当主でもある阿求は今日、その邸宅で来客の相手をしているそうな。
「前にそう言った筈だが? それでブンヤが務まるのかね」
「それどころじゃなかったですよ、あの時は。蜘蛛は出るわ、運河探偵は埋まる
わ、挙句負けそうになるわで」
嫌なところを突いて来る。運河は腹立たしげに髪を掻き上げた。その上に乗る帽子は、どこか前よりも紫がかって見えたのは、文の目に狂いがあった訳ではない。
あの日、カンダタごと化け蜘蛛を食らったレッドキャップと運河は、食べ残させた蜘蛛の糸に吊る下がっていたところを文に救出されたのだ。あれだけの体躯に流れる血を余すとこなく食らい尽くしたのだから、色が変わっても不思議ではない。
「ふん。良いかね? 首を突き刺され、虫の息になった男はどう行動を取るか……それを考えれば、あんなものは不思議でも何でもない」
「と、言いますと?」
「少しは自分で考えたらどうなんだ?」
「それは探偵さんの仕事でしょ?」
文がニヤリとしながら茶を啜る。
「口の減らんやつめ……良いか、もしお前が板戸の向こうに自分の命を狙う者がいたとして……お前ならどうする?」
「弾幕でも放ちますよ」
「……そーじゃないだろ?」
今にもカップの持ち手をへし折りそうな運河を見て、さすがに文もかぶり振り、
「じょ、冗談ですよ? えーとですね、やっぱり板戸を閉めますね。追撃から逃れないと」
「……そうだ、あの男も恐らく必死で戸を閉めたんだろう。一方のカンダタは本を手に入れれば男に用はない。だが、カンダタが立ち去ったことを知る術のない男は板戸を閉めたまま息絶えた……」
「あ……」
思い至り声を上げる文。運河はカップを空にすると、腰をあげ給仕にお代りを頼んだ。
「私が、板戸を閉めたまま死んだあの人を壁ごと吹き飛ばしたんですね……」
気を落とす……という程ではない。この新聞記者の烏天狗がこの程度で落ち込むような性格なら、とうの昔に廃業している。ただ何となく、運河は不覚にも気になってしまったのだ。
「気にすることはない」
照れ隠しのつもりだろうか。机の砂糖壷から角砂糖を取り出しボリボリと摘みながら、
「指示したのは僕だからな、まぁその何だ……」
「何ですか? 柄にもなく、慰めてくれてるんですかぁ?」
すぐ、何処かからかう様な笑みを見せた文に運河は迂闊な自分に咳払いながら、
「ふん、本当のことを言ったまでだ。外の世界じゃ、実行犯より計画犯の方が重罪だからな」
「外の世界か……ねぇ、運河探偵」
「ん……何だ、ブンヤ?」
運河は給仕から湯気立つカップを受け取る。一礼して給仕が下がるのを待って文は口を開いた。
「運河探偵は外の世界から来たんですよね?」
「……何でお前がそれを?」
「にとりさんに銃のカスタマイズしてもらってる時、暇だったんで阿求さんから色々と」
「おのれ……あっきゅんめ」
ぐむむと運河が顔をしかめる。今ごろ、阿求はくしゃみでもしているだろう。
「確かに。僕は高校生の時に幻想郷へ召喚された」
学業も修め終えぬ内にこの地へと呼び寄せられた彼女に特別、教鞭を取ったのが慧音であったのだ。今のところ、慧音の寺子屋で高等部卒を果たしたのは運河だけである。
「向こうの生活に未練は……」
「ふん。ないと言えば嘘になるだろうさ。僕だって人の子だ、家族もいたし友人もいた。それに、こっちで飲む不味いコーヒーに慣れるのには骨が折れた」
言いながら、運河はカップを傾ける。不味い不味いと言いながらも注文してしまう運河は、カフェにとっては良いカモだろう。
「そんな運河探偵にとって幻想郷は……傷だらけになってまで守るべきものなんですか?」
新聞の取材? 否、もしそんな雰囲気を少しでも察したならば、運河は机でも蹴り倒し店を出たろう。運河は腕を組んだまま顎を撫でていたが、やがて、
「難しい問いだな……日頃、手掛けている事件の何倍も」
そう言って、頼んだばかりのコーヒーを一気に飲み干すと、彼女は席を立った。
「次会う時までには答えを用意しておこう。だがな」
「何です?」
マッチを擦り、咥えたチェリーに火を灯す。旨そうに紫煙を吐き出しながら、運河は笑った。
「今、僕は後悔などしてはいないのだけは確かだ。射命丸文、お前と幻想郷を守ったことを」
「運河探偵……!」
「その探偵ってのはやめろ」
伝票片手に背中を向けたまま、
「ところ構わず探偵と言われちゃ仕事にならん。
機会があるなら、次からは名前で呼んでくれ……文」
●
「風邪ですか、阿求殿?」
「いや、誰かが噂でもしてるんじゃないかな」
稗田邸……その一室の縁側に腰を下ろして鼻をぐしゅりとやりながら、阿求は膝の上に広げた文々。新聞に目を落とす。そこには、散歩中の探偵が落とし穴にハマるという仕様もない記事がトップを飾っていた。普段なら、こんな記事ばかり扱うから購買数が伸びないのだと呆れる阿求であるが、今回ばかりはそう馬鹿には出来ない。
あの化け蜘蛛事件を一部始終目撃していながら、それをあの文が記事に起こさなかったのは阿求にとっては嬉しい誤算であった。運河の手による早期解決の為なら……と、腹を括ってはいたが、やはり公にならないに越したことはない。
「射命丸殿と火星には、随分と迷惑をかけてしまったみたいだな」
阿求の横から記事を盗み見ながら、上白沢慧音が言った。今回の事件の依頼者だ。
「運河ちゃんにはお間抜けな汚名まで着てもらったしね」
記事に使われた写真は運河が蜘蛛の糸で地面に引きずり込まれた時の写真をそれとなく文が加工したものだ。見様によってはすごい必死な顔で落とし穴にハマっている人に見え……なくもないだろう。文はこのことで、貸しを作ったつもりなのだろうか? それとも……
「しかしながら、こうして必要最低限度の被害だけで収拾が付いて安心していますよ」
「本当に。もしも八雲一家が介入すれば、あの村落の人間ごと化け蜘蛛をかき消して済めば良い方だもんね」
慧音は無事、手元に帰ってきた本の背を撫でた。運河がそれこそ死ぬ思いで取り返したその本……古惚けたその書物の表紙には稗田阿礼の著者名が見て取れる。
「あんな村落の連中でも、私は殺されてしまえとは思えないのです」
「さすがは女教師。道徳的だね」
「人に馴染み過ぎただけですよ……」
自嘲するように慧音は笑ったが、阿求はそれを恥じることとは思わなかった。
幻想郷はいかなる時代にも人と共に在るべきなのだ。そのためにも、この本が必要なのだ。極端な人と妖怪のパワーバランスを根底で保つもの……結界に象徴される強大な妖怪の力に対するカウンターが……
「運河ちゃんは今回、村人を一人だけ犠牲にしました」
カンダタに首を刺し殺された男のことだ。
「真実を見抜く程度の能力がある彼女が犠牲者を出した……」
「警告なんだろうね」
慧音は仕方ないと肩を竦めた。
「今いる連中は知りもしないでしょうが、あの村落の上にある結界はそこだけ結びが甘いんです。だからこそ、連中の先祖はあんな辺鄙な場所に住み始めたんでしょうが……」
「今回の事件を期に、大人しくしてくれれば良いね」
それは、運河の願いでもあるだろう。真実を見抜きながら、敢えて一人の人間の命を犠牲にしたのだ。それは探偵でなくとも、仮に犠牲者が幻想郷に仇なす意思を持つ者であれ、辛いことだ。
「大人しく……と言えばなのですが」
「今回の事件の首謀者ですか?」
阿求の表情が急に険しくなった。それは横に腰掛ける慧音も同じで、
「カンダタという盗人に化け蜘蛛を与え動かしたもの、か……」
慧音は眉間に皺寄せて深い溜め息をついた。
「そちらにも大人しくしてもらいたいものですが……火星には、また近い内に働いてもらわねばならないかもしれないですね」
この慧音の言葉は、時を待たずしてすぐに現実のものとなるのだが……それはまた別の事件であり、稗田阿求が後に「蜘蛛の糸」と題した事件簿は、これにて終焉である。
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福田 文庫(フクダ ブンコ)
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誕生日:
1984/06/25
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コーヒー生豆を炒る
自己紹介:
24歳、独身。人形のゴジラと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。
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