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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 島田 荘司(著) 個人的評価/80点 あらすじ 鎌倉の閑静な住宅街で起きた殺人事件。被害者は、白いシーツを全身に巻かれたうえ、フルフェイスのヘルメットをかぶり死んでいた…。時を同じくし、事件があった家の二軒隣に住むお娑さんが、自宅前の道をUFOが通過し、裏山で宇宙人が戦争を始めた、と吹聴し始めた。目撃されたUFOと奇妙な殺人事件との関係に、御手洗潔が迫る。 書評『UFO大通り』(島田荘司)
島田先生の御手洗シリーズである。
内容は中篇二本で、そのどちらも御手洗さんがまだ横浜で石岡君とのんびり暮らしていた頃に起こった事件だ。個人的には二人が別れてしまった最近の時代を舞台とした作品よりも、今回の作品のような一昔前のノスタルジックな二人のほうが好きなので、個人的評価は高い。ただ、これはあくまでも個人的な評価であって、世間の評価はちょっと分からない。重厚な作品を好む読者もいるし、近年の距離を取った二人の方が好きな方もいるだろう。
御手洗シリーズの短編集には「挨拶」、「ダンス」、「メロディ」や、『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』など、魅力あふれるラインナップが思い出されるので自然、期待は高まる訳であるが、今挙げた作品と比べてしまうと多少は見劣りする感は否めない。それでも二人の昔話が読みたい人だけが読むべきであろう。大御所であるだけに、期待値が高すぎてしまうというのはあるのだが……
★「UFO大通り」
冒頭に事件の捜査に当たっている刑事の一人称から始まる。次いでいつも通り石岡君の一人称へとなるのだが、ここで石岡君がこの事件は「山高帽のイカロス」事件の前年に起こった事件であると述べている。この頃の御手洗さんが私は一番好きだ。
事件は宇宙人の戦争とUFOを見たと言い出した老婆と、その近所で起こる奇妙な遺体を残した密室殺人が絡み合っていく。島田先生の語る本格ミステリの定石に則り、UFOと宇宙人が鎌倉の田舎に現れるという衝撃的な謎を徐々に御手洗さんが紐解いていくわけだが、このUFOと宇宙戦争の正体に納得行くかどうかで作品の評価は大きく変化してしまうだろう。
ミステリには、約束がある。この作品で重要な約束は、三人称ではなく一人称で語られる事象は決して事実ではないということだ。例えば、女性に変装して殺人現場を逃げ出す犯人を主人公が目撃したとする。この場合、もし仮に作品が三人称で語られるものであれば、決して「現場から逃げ出したのは女であった」と書いてはならないのだ。だが、一人称の場合は「僕は見た。黒く長い髪を振り乱して逃げる女の姿を」と書いても構わないという、今更書くまでもない約束である。
本当にUFOと宇宙人が出てくる訳はないので、これらを目撃したと語る老婆は何かと間違えているということは誰でも分かる。ではそれは一体何なのか? ということなのだが、私は宇宙人の戦争に関してはまぁ納得したが、UFOに関してはまぁまぁといった感じだった。ここで大事なのは、実はこの老婆はUFOというものを正確には理解してないのだ。その証拠に、老婆はUFOが地面を走っていたというのだ。
では何故、この老婆がUFOだの宇宙人だのと言ったかというと、遊びに来る近所の子供たちの入れ知恵だったりする。このUFOに対する老婆の認知をどこまで許容できるかだ。個人的には、別にUFOじゃなくても「特撮ヒーロー通り」としても通用するように思えた。ただ、「著者の言葉」にこの作品を考え出すに至った経緯が書かれており、それを読んでしまうとUFOでも仕方ないと思ってしまう。私はである。厳しい読者はどう思うか知らない。ただ、この理由を知らなければ、UFOとした必然性は結構揺らいでくる。とは言え、ここまで厳密かつ生意気なまでに言うのは、島田先生の作品だからであるからだ。他の作者であれば、こんなに気にはしないかもしれない。
そして密室に関してだが、これは殺害方法と連動している。被害者の奇妙な格好と、外傷や毒物反応が見つからなかったという二点から考え得る解答は、これ単体のみでは目新しいものではなく、意外性も少ない。ただ、この次に起こる第二の殺人と先に述べたUFOと宇宙人を纏め上げた時に本作の価値はようやく見えてくる。
ただ、個人的に好きなこの時代の御手洗さんにしては、事件以外での魅力に多少乏しい印象を受けた作品でもある。まだ御手洗さんはそれほど有名ではなく、事件を担当している頭の古い刑事・猪神を痛快にやり過ごすところは面白いのだが、事件を知らせる子供やUFOを見た老婆などとももう少し交流が深まったりすればと思わせられる。
★傘を折る女
ラジオの放送で聞いた奇妙な光景。女が土砂降りの中、ワンピース姿で自分の持っている傘を車に轢かせる……など、断片的な情報をつなぎ合わせていくことである事件の解決にまで辿り着く御手洗さんの推理力を前面に押し出した作品である。
石岡君も作中で御手洗さんが、「珍しく思考の過程を一から見せてくれた夜」と言っているように、この作品では御手洗さんは普段どうやってものを考えて推理していくのかといったプロセスの一端をデモンストレーションしてくれている感が強い。
このように、本作品はあまねく一般読者向けというよりは、御手洗潔ファンを対象とした趣が強い。あくまで前述した推理過程を魅せるものであって、事件自体はさほど重要視されていないように思う。その証拠というほどでもないが、中盤に挿入される犯人が殺人を犯すまでの独白などから垣間見るその人物像は、御手洗さんが語る損得勘定のみで動く女性の典型に思える。あまりにステレオタイプで面白みに欠ける人間にも映ってしまう。また、御手洗さんは家から一歩も出ずに全てを室内で済ます。石岡君からラジオの情報を聞き、推理。そしてまた石岡君が新聞記事から分かった事実を御手洗さんに教えて、警察に電話して推理を披露……と、頭と口以外はほとんど動かさずに事件が収束している点も、御手洗さんの推理力を魅せることに焦点を当てていると思える要因だ。合間毎に挟まれる犯人目線の章で補足はされているのだが、ミステリとしては骨格むき出しに近い状態で読者に謎が提示されている感が強い。御手洗さんのパートと犯人パートの二つは、まるでスペアリブを最初から肉と骨に切り分けて皿に盛られたような印象さえ受ける。
生意気に辛らつぶってみたが、傘を折る女の謎よりも新聞記事から分かった現場に死体が二体並んでいたという新事実が明らかになってからがいよいよ本番であると考えたほうが良いのかもしれない。二体目の死体は果たして如何にして現場へと運ばれたのか? それとも現場で殺されたのか? ならば誰が? この謎に関しては言うならば、前述した御手洗流の推理を読んだ上で読者も考えてみようという実践的な面が感じられて、御手洗さんはこっちではいつも通り「結果を魔法のように突きつけるいつものやり方」に戻っている。ある程度の情報は、犯人のパートで提示されるので読者も実践できるだろうが、死因に関してはどうなのだろうか。ちなみに愚鈍な私は分からなかった。強いていえば、「UFO大通り」と同種の方法で命を落としているので、そういった体裁の本であるというのがポイントなんだろう。
★総評
いつもの御手洗シリーズの短編らしく、提示された謎の数々を御手洗さんが鮮やかにつなぎ合わせ、真実を露にしている。ただシリーズ作品である以上、それ以上のものを要求してしまうのがファンであり、特に私は昔の御手洗さんと石岡君というコンビ自体が非常に好きなので、そういった面では満足しきれないものを感じた。「傘を折る女」は前述したように、少し意味合いの違う作品だったのでまだ良いが、「UFO大通り」に関してはやはりこういった面での充実感は少し足りなかった。
「数字錠」という短編がある。この作品では謎解き以上に、どうして御手洗さんは珈琲を飲まなくなったのかという理由が描かれていて、それを込みでとても印象に残る大好きな作品の一つだ。確かこの短編が収録されている『御手洗潔の挨拶』は『斜め屋敷の犯罪』の次くらいで、作者である島田先生ご自身も御手洗さん同様若かったのである。今でも本作品のように過去の事件を掘り起こして昔の御手洗さんの活躍を読むことは出来るが、書いているのは昔の島田先生ではなく、現在の島田先生である。こうした御手洗さんと島田先生とのジェネレーションギャップが、多少だが感じられてしまった気がする。親近感に近いものを読後に感じられる作品の御手洗さんは今のように超人ではないが、もしかしたら自分でも話が出来るかもしれないという人間らしさがある。これが不足に感じてしまう。そのマイナスありきで、80点といいたい。
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福田 文庫(フクダ ブンコ)
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1984/06/25
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24歳、独身。人形のゴジラと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。
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