このブログは福田文庫の読書と創作と喫茶と煙草……その他諸々に満ちた仮初の輝かしい毎日を書きなぐったブログであります。一つ、お手柔らかにお願い致します……
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 作品の舞台に似合うもの、少なくともよく選ばれるものそうでないものという分類があると思う。青春ものとうたえばその多くは高校に焦点を当てることが多い。特にこの傾向は漫画やアニメに多いと思える。ライトノベルをこのカテゴリにおさめることに関しては賛否あるだろうが、今はそれを論じるつもりはないので、とりあえずこのカテゴリにおさめる。 青春といえば、高校。そういった風潮が少なからず世間にはある。年齢的にも、また取り巻く環境も、そう考えるに足るものがるということだろう。だが、少なくとも私にとっての青春時代は大学である。単にデビューが遅かった訳ではない。顔を合わせば小説の話ばかりする人間なんて、大学の文学部にでも行かなければそうそういないのだ。 そんな訳で今回の拙文は大学を舞台にしたミステリである。大した話ではない上に、ノンフィクションが半分くらい混ざっているので、正直なところ面白いのか良く分からないが、大学のミス研が集まるとこういう話を延々と本当にするもんだなぁということで。 「飯亭論議 メシテイロンギ」
「部長の好きそうな話があるんだよ」
まだ私がH学園大学で一応はキャンパスライフを謳歌していた頃の話である。
その日も私はサークルのメンバーと飽きもせずに近所の定食屋<飯亭しゃもじ>の奥座敷を占拠して玄米ご飯を掻き込み、味噌汁を啜り、お新香を齧り、そして少しばかり酒を嗜んでいた。私のサークルを語る上でこの定食屋を外すことは出来ない。とは言え、別に私のサークルは定食関係のサークルではなく、ごく一般的な……強いて言えば出来て日の浅い新米弱小ミステリサークルであった。
では何故ゆえにミステリサークルと定食屋が結びつくのかといえば簡単な話、私たちのサークルは正式には同好会扱いであり、部室というものが自治会からあてがわれてなかったのだ。一時期はメンバーの少ないサークルに全員で入部し、内部からそのサークルを乗っ取り、部室も徴発してしまおうという過激な案も飛び交ったが、結局は計画のまま実行に移されることはなかった。
そしてそんな私たちが代替案として考えたのがこの定食屋の奥座敷であった。別にここを徴発して本当に部室として使おうとまでは考えていなかった。ただ、学園大学から近く、基本的にはセルフサービスで居座りが可能なこの定食屋でサークルのディスカッションでもしながら食事でも済ませようということだ。このディスカッションは往々にして講義の後で、しかも私たちは二部の学生だったので基本的にサークル活動時は腹を空かしている状況に置かれることが常であったことも、この定食屋ディスカッションを定着させた大きな要因であったと、私は当時を振り返る。ひどい話で、我らが母校であるH学園大学の学生食堂は二部生が講義を終える時間帯には営業していないのだ。
ともあれ、そんな感じでその日も私たちは定食屋の奥座敷でディスカッションをすることにしたのだ。ちなみにこのディスカッションは、ある日業を煮やした定食屋が奥座敷をリザーブ席に変更するまで毎週三回は行われ続けた。定食屋のリザーブなど聞いたことがない。これは明かに我々に対する当てつけだ、こうなったら徹底抗戦だ! よし毎回予約をいれてやろうじゃないか! ……とならなかったのは、電話一本入れるという労力が増えただけで面倒くさく思えて、自然とこの店から足が遠のいたからだ。だが、この頃はまだ奥座敷は単に団体用の席に過ぎず、そして我々の会議場であった。ただ、時たま厨房から非難の視線を感じることがなくもなかったが、そうした社会の軋轢を軽く受け流しながら私たちは話を続けていたのだ。
「俺が実家に帰った時に見た、とある人物の不可思議な行動だ」
箸を持つ手はすっかり休め、先ほどからカップ酒をチビチビと飲んでいた麻生が不意にそんな話を始めた。当時のディスカッションと言えば、大体があのミステリが面白いとか詰まんないとかそんな話ばかりであったので、実体験に基づく日常系ミステリという珍しい肴に、私は興味を覚えた。
「キミんとこの実家と言えば、トウキビ畑に囲まれたあの田舎かい?」
「やかましい。歩く時間を惜しまなきゃコンビニもあるわい」
先ほどからお代わり自由のお新香ばかりを齧っていた琴似に反論しつつ、麻生は話を続ける。
「まぁ確かに畑が多いことは認めようじゃないか。その畑が今からする話にも大きく関係しているからな。畑の広げるのどかな町で起きたミステリだ」
「町? 村の間違いだろ。集落でも良いけど」
「だまらっしゃい、町だ。街ではないが、町ではある。根気良く歩けばレンタルビデオ屋だってあるんだよ。居酒屋はないけどな、残念ながら」
酒好きらしい意見だ。ちなみに病院と本屋は街まで車を走らせなくてはないらしい。健全なミステリサークルのメンバーとしてはそちらの方にこそ残念がって欲しい気もする。
「畑ということは……もしかして野菜泥棒だったりして?」
「正解。澄川さん、鋭い」
「いやいや、どうもどうも」
大げさに照れてみせる澄川女史は私たちのサークルで唯一の女性だ。
どういう訳か、自治体の許可も無くゲリラ的に貼っては剥がされるの繰り返しだった私たちのサークル勧誘ポスターに興味を示して入部してきたというつわものである。某大学の乱交サークルの紛い物こそ存在してはいなかったが、それでも私たちの大学にはその名目に沿った活動を一度も行わないお遊びサークルが数多く存在していたし、それは学生たちにも周知の事実であった。そんな中で部室も持たぬ流浪の身であった私たちのサークルに単身飛び込んでくるとは、人を疑うことを知らない純粋無垢な性格か変わり者のどちらかだと思っていたが、どうにも彼女の場合は後者であった。
いや、別に澄川女史の性格を否定する訳ではない。ただ古本屋を巡っては澁澤龍彦の本を探し、一応の入部条件である好きなミステリ作家を尋ねたところ、間髪要れずに小栗虫太郎と答える女子大生は、世間一般的には変わり者にカテゴライズされるだろう。
「そろそろ、本題に入れよ。お前の牧歌的な故郷の畑で何が起きたって言うんだ?」
先ほどから三歩進んで二歩下がる状態の会話を私が急かす。食事はとうに済んでおり、それでいて麻生や琴似ほどザルでもなく下戸に近い私は今、美味くもないドリンクバーのコーヒーを飲んでいる。
「そりゃお前、澄川さんの言う通りに野菜泥棒だよ」
「麻生、そんな話じゃ我らが部長は喜ばないぞ?」
胡瓜の浅漬けを齧っていた琴似が、またもや麻生に噛み付く。ちなみに、このサークルのメンバーは一応だが私のことを部長と呼ぶ。とは言え、そこに敬意やら何やらといった意味合いがある訳ではなく、単に綽名のようなものである。
「分かってるっての。問題は泥棒が犯行に及んだ後の行動にあるんだよ」
「行動だ? そんなもん逃走の一択しかないだろ」
「普通はな? ところがだ。俺がわざわざこの場を借りて話すからには、その泥棒は一味違う訳だよ、これが」
「どう違うの? まさかもう一度、畑に植え戻したとか」
「それはそれで面白いけど、残念ながら違うね。一応、逃走は図ろうと止めてあった乗用車には乗り込むんだよ。だけど、全然車を発車させない。エンジンも掛けずにぼんやり、夜空でも眺めるように座ってるだけ」
「それで?」
「たっぷり五分は経ってからだな。俺、煙草三本は吸ったから。ようやくエンジン掛けて町に続く農道を走り去って行ったわ」
麻生の話の触りだけを聞き終え、取り合えず私はふぅんと思った。
確かに現実でお目にかかる不可思議体験なんてものはこの程度の衝撃を与えてくれれば十分だろう。麻生のことを知らない人が聴けば、どちらかと言えば五分で煙草を三本も吸ってしまう彼のチェーンスモーカーぶりの方が脅威に当たるかもしれない。
「どうだ、部長? そりゃ普段論議を交わしてるようなミステリから比べりゃ面白みには欠けるだろうが、たまには現実の事件を推理してみるのも悪くないだろう?」
「そうだなぁ。でも、今の話だけじゃまだ情報不足だよな。聞きたいことが幾つかある」
「俺の分かる範囲であればなんでも答えてやるぜ」
「好きな女性のタイプは?」
「夏目雅子」
すかさず茶々を入れてきた琴似に、もういちいち突っ込むこともせず普通に回答して返す麻生。現役大学生にしては渋いチョイスだが、私もまた琴似の質問は無視をして話を続ける。
「お前は犯行の一部始終を全部見たのか?」
「あぁ。実家に戻っても大してすることなくてな。おまけに実家は禁煙状態だから煙草を吸いがてら、外をぶらついてた訳だな。時間は……そうだなぁ、確か二十三時は過ぎてたな。すると、見慣れない高級乗用車が止まっているじゃないか。珍しいなと思いながら遠巻きに眺めていたら、ほどなくしてこっちもその場には不釣合いなスーツ姿の男がダサい鞄を抱えてふらついて来た」
「それが例の野菜泥棒だったの?」
「そうそう。で、すぐにでも車に乗るのかと思ってたら、何の躊躇いもなく車停めてた横の畑に入ってく訳だよ」
「スーツ姿で農作業か。お前と同じ帰省してた農家のせがれが親の野菜もって帰ろうってオチじゃねえの?」
漬物に飽きたのか、今度はこれまたお代わり自由の味付け海苔を食べ始めた琴似が笑う。確かになくはなさそうな意見だ。しかし、麻生は首を振る。
「残念ながら違うな。俺はその畑の持ち主を知っているが、息子さんはもっと年食ってるはずだ。その畑の持ち主は別に役職がある訳じゃないが、ちょっとした顔役でな。まぁガキの頃の俺にしてみりゃ怖いだけのオッサンだったが……家族も知っているからな」
「ということは、その泥棒……あ、便宜上Dって呼ぼう。Dは若い人だったの?」
「うん。と言っても、俺らよりは上だけど、三十前ってとこだな」
「アラサーの野菜泥棒かぁ……しかもスーツ姿でふらついてる……あ」
と、ここで澄川女史が何か思いついた様子で挙手をする。「はい」と姿勢良く手を挙げるその姿はどこか快活な優等生を彷彿とさせる。そんな彼女に「どうぞ」と麻生が回答を促す。
「ふらついてたってことは酔っ払ってたんじゃない? それで、酔いに任せてつい犯罪行為に走ってしまったD……ところが飲酒運転をするほど、理性は失っておらず、車の中で酔いを醒ましてから発進させたと。いかがかな?」
「琴似に比べれば遥かに素晴らしい回答だけど……残念ながら不正解かな。確かにふらついてはいたけど、あれは酔ってるって感じではなかったからな」
「それに……」
麻生同様、澄川女史の意見にはある程度の感心を示しつつも、私は横から言葉を次いで気になった点を指摘する。
「五分程度の休憩じゃ、警察の目は誤魔化せないと思う。あと、酔っ払っていたとしたら泥棒はしなかったと思う」
「え、それってどういうこと?」
小首を傾げる澄川女史。まぁ確かに、酒の力で強気になって軽犯罪を犯すという傾向は人間にはあるものだとは思う。それには私も同意する。ただ、
「場所が悪いんだよ、澄川さん」
「場所?」
「そう。麻生の故郷は頑張って歩けばコンビニとビデオ屋はあるらしいけど、酒好きの彼には辛いところで居酒屋はない。そうだよな、麻生?」
「あぁ、さっき言った通りだ。一軒くらいあっても良いとは思うんだがな」
「だから、そのDが酔っていたとすれば、どこかの家で飲んだのだろう。確かに缶ビール片手に飲みながら歩いていた可能性も完全に否定は出来ないけれど、Dが空き缶の類を持っていなかったことと、コンビニじゃなくて畑の横なんかに車を停めていた点から考えても、その線は否定出来ると思う」
まぁ、持っていたという鞄の中に空き缶をしまっていれば話は別だが、窃盗を行うほど酔っていた人間がポイ捨てだけはしないというのも変な話だし、誰もその点には突っ込まなかったので、私は続けた。
「ということは、Dはどこかの家で酒を酌み交わしたんだろうと思う。と言っても、テレビの企画じゃあるまいし、いきなり他人の家に訪ねていって晩酌させて貰った訳でもないだろうから、きっと知り合いの人の家だな。田舎……いや、町のコミュニティってのは狭いだろ? そんなところで野菜なんか盗んでみて、もし誰かにばれてでも見たら? 確実にDの知り合いは迷惑を被るだろうな。田舎……いや、小さな町じゃこうしたことは信用問題にまで関わる」
まさに村八分……いや、麻生の意見を尊重するとすれば町八分というやつか。どちらにせよ、知り合いにまで被害を及ぼしかねない行為をしてまで野菜を盗むとは思えない。それにトウキビなんて、捥いでその場で食べれるものでもないというのが私の考えだ。この考えには、一応みんな同意を示してくれた。そして、頷く麻生からは新たなる情報がもたらされる。
「そういや、盗んだと言っても少しだけだったな。それこそ申し訳程度の量だった。鞄持ってるんだからその中にいれりゃ、もっと盗れたろうにな」
「いやだけどよ、麻生。ちょっとだろうがコンテナ一つ分だろうが、犯罪には変わりないだろ? お前、まさか黙って泥棒をお見送りしただけじゃないだろうな?」
「殴って止めろってのか、お前は?」
「そうじゃねえよ。次の日、被害者とか警察に言ったのかってことだよ。あ、駐在所って言うんだっけ? 田舎じゃ」
一言多いが、琴似にしては的確な指摘である。駐在所と呼ぶこと自体は合っていたようで、そこには何も触れず麻生はカップ酒で舌を濡らしてから続けた。
「勿論言いに行ったさ。することもなくて毎日暇だったからな……というのは冗談だから澄川さん、そんな目で見ないで。あれだ、正義感に駆られた俺は最初、すぐ警察に言おうと思ったんだけど、親に相談したら先にその被害にあった畑の持ち主に言えって言われてな」
「それで? 麻生君の話を聞いた畑の持ち主……あ、便宜上Mって呼ぼうね。Mさんは警察に被害届けを出したの?」
便宜上の符丁を付けるのが好きな澄川女史は最近、戦前の探偵小説以外にも西澤保彦を読むようになったそうだ。
「いや、それがな。えっとMさんだっけ? Mさんに言ったんだよ。見に行ったら調度畑仕事してたんでな。そしたら、野菜なんか盗まれていないと言うんだよ、これが」
「あーあれだ。もう歳で野菜が減ってても分からないんだろ?」
「まぁ、高齢なのは否定出来んわな。随分、弱々しく見えたもんだよ。ガキの頃は顔役ってこともあって、すごい怖い印象だっただけにな。顔色なんかも良くないし、仕事の手つきも明らかに遅くなってたから。だけどお前、人間が盗んだんだから、跡を見ればさすがに気付くだろ?」
「そうだよねー。動物が畑荒らすって話も聞くけど、あれとは見た目が違うはずだもんね」
「そうそう。だから俺は親切にも昨晩の記憶を頼りに泥棒が盗みをしていたらしい位置を見に行った……」
「そしたら、何と盗まれた形跡などまるで無かったのです! 全ては麻生の見た幻覚でした……ってオチ?」
「馬鹿。誰がミステリサークルで夢オチなんて口にするかよ。ちゃんと形跡はあった。だから俺はMさんに言ったんだよ。でも野菜を取った形跡があります、とな。だが、Mさんは言うんだよ、それは自分の奥さんが自分の家で食う分を取った跡だってな」
「何だ、Mさんが同性愛者だってオチかよ。若いツバメを見つけましたとさってか」
「馬鹿野郎が、そんなオチじゃねえっての。一応断っておくが、DはMさんの奥さんじゃないぞ。息子でも親戚でもなかった」
「じゃあやっぱり泥棒じゃないの?」
セルフサービスのソフトクリームをこんもりと盛った小鉢を両手に、席を外していた澄川女史が戻って来た。その一つを私に配膳してくれる。オプションのスライスアーモンドを振りかけてくれている心遣い、痛み入ります。
ちなみに誤解が無いよう断っておくと、別に部長という権限を使って彼女を顎で使ったのではない。この場で甘党なのは澄川女史の他に私しかいない。そして、ここは女性心理らしく私には分からないのだが、澄川女史曰く、「甘いものを一人で食べるのには道路を斜め横断するくらいの勇気が必要」なのだそうだ。という訳で、彼女が別腹にスイーツを収める時には自然、私も付き合うのが慣例となっているのだ。
「だよね。だから俺は今度はMさんの家に行ってMさんの奥さんに訊いたんだよ。昨日、お宅の畑で野菜盗んでるやつがいたと」
「……もしかして、否定されたのか?」
そのまさかだった。ようやく、話に不可思議さが漂い始めた訳だ。
「そうなんだよ、部長。そんな男は知らないし、野菜も自分が朝食に使う分を取っただけだって言い張られて追い返されたわ。朝からトウキビなんか食うかっての」
朝の食卓にトウキビが並ばないとは言い切れないが、まぁあまり話は聞かない。それに麻生が犯行現場を見ている以上、盗まれているのは間違いがないのだ。つまり、
「Dの存在をMさん夫妻は隠したがっているのかもしれないな……」
「そうだよな、部長。じゃあDとは一体、何者であったのか? しかしその謎が解かれることはなく、俺は故郷を後にした……以上が問題編だ……っとと」
綺麗にまとめて席を立とうとした麻生が中腰でよろける。琴似に早速、「大丈夫か、おじいちゃん?」と言われている。
「うるせーなぁ。ちょっと足痺れただけだっての。俺ってば育ち良いからずっと正座だったからさー」
「……田舎だから椅子にテーブルじゃなくてちゃぶ台と座布団で、正座の習性が消えないだけだろ?」
「ちょっとトイレ。俺が帰ってくるまで話進めるなよ、部長」
念押しして、座を離れる麻生に手を振りながら、私はある一つの可能性を考えていた。少し飛躍しているかもしれないが……もし合っていれば、麻生は問題の出題者としては非常に有能だと言えるなぁ、と思いつつ。
「――分からない点をまとめるとこうだよね。
一つ、Dは何故野菜を盗むのか? 二つ、DのMさんとの関係性とは? 三つ、結局はDって何者なの? ……って感じでどうでしょう?」
麻生もトイレから戻り、私たちは改めて問題の検証を行うべく襟を正した。
私の座っている席は、みんなが変なところだけ部長として扱ってくれるので上座。ここからは厨房が良く見えて、襟よりも来店マナーを正せという視線が飛んでくるのが分かる。まぁ、話が終わるまで会計するつもりはないので見なかったことにする。
「良いんじゃないかな? どうだ、みんな。何か意見があったら言ってみてくれよ? 特に大口叩いてた琴似。さっきから静かじゃねえか? ん?」
「大口は叩いてないな、軽口のつもりだ」
「どっちでも良いわ。そんなことより意見はないのか?」
「じゃあ一つ、訊いてやるよ。Dの車だが、フロントガラスに何か貼っついてなかったか?」
「何かって何だよ? 別に若葉マークも何も貼ってなかったぞ」
「あ、そう。じゃあ見当違いだったわ」
あっさりと引き下がると琴似は煙草に火を点けた。今回のディスカッションも終盤を迎えている。みなそれぞれ食事は終えて、手には煙草や飲み物を持っている。
「何だよ? 間違いでも積極的な意見は評価するよ、俺」
琴似が何を考えていたのか検討の付かない麻生はあくまで食い下がらない。と、コーヒーカップに先ほどのソフトクリームを載せて即席のウインナーコーヒーを楽しんでいた澄川女史が、
「あれだよ、麻生君。たぶん琴似君はDが何でふらついていたかを考えていたんじゃないかな?」
「え? それってどういうこと?」
「障害者駐車許可証……って知ってる? 麻生君は」
澄川女史が琴似を横目に訊ねる。どうやら、琴似の考えていたことは澄川女史と同じであったようだ。私にも検討が付いていた。
障害者駐車許可証は確かにその障害の等級に応じて市から給付されるもの……だった気がするが、私が気付いたのはそっちではない。多分、琴似は澄川女史に気を使ったのだ。彼女には確か、足にハンディキャップを持っている従姉妹がいた。一度私たちは会ったことがある。
「あぁ、なるほどな。いや、でも違うな。そういうのは貼ってなかったわ。歩き方も、またそういうのとは少し違う気がしたんだよなぁ……上手いこと説明出来ないけど」
納得のいった麻生も今度は大人しく引き下がり、煙草を咥えた。意外にそういった点に気をつかうのが琴似だったりする。その気遣い自体は全面的に肯定出来るかどうか別として、普段は主に麻生に対して口が悪いものの、決してデリカシーのない男ではないということが伝わればそれで十分である。
「よし。では、ここで一つ。俺の仮説も聞いてもらおうか」
ともかく。そんな場の空気を改めるべく、私はまだ確信の持てない仮説を切り出すことにした。喋っていればその内、上手いことまとまるかもしれないし。
「まぁ、日ごろ目で追っている活字の事件ではないから、麻生の話だけで過不足がないとも言えないし、Dの行動に論理的な理由があるという確証もないけど……」
「部長、分かってるから。そこら辺は俺ら踏まえてるから、前置きなしで行こうぜ」
「まぁ、そうだなぁ。それじゃあ単刀直入に行くか。俺はそもそも、Dは泥棒ではないんじゃないかと思うんだよ。話の終盤であったように、どうもMさんの奥さんはDのことを知っているようだからな」
「言い切って大丈夫か、部長? 単にMさんも奥さんも、顔役という立場上、泥棒に入られたなんて醜態を隠したかっただけかもしれんぜ?」
「大丈夫かどうかは、お前の話が細部まで正確であったかどうかに掛かってるな」
「? どういうこった?」
何のことだと目を白黒させる麻生に、私は続けた。
「麻生は確か、Mさんの奥さんにこう行ったんだよな? お宅の畑で野菜を盗んでいるやつがいたって。間違いないか?」
「ないぞ」
「そしたら、奥さんは答えた……」
「そんな男は知らない、だったね。なるほどねー」
澄川女史が横から感心したように手を打っていた。
その通りだ。麻生がもし正確に当時の状況を話してくれたなら、奥さんは墓穴を掘ったことになる。自らその泥棒は男であると認めたのだから。いや、そうではない。泥棒だと知っていれば、間違いなく何か行動を起こしているはずだ。少なくとも、知らないふりをして麻生を追い返す真似はしないように思える。
「これだけを根拠に、Mの奥さんはDを知っていたということで話を進めたいと思う」
一応、ここで言葉を切ってみんなの意見を求めるが、誰からも反論は上がらなかった。興の乗ってきた私は煙草を一本咥えると、続けた。
「では、Dは何者なのか? Mさんの家に呼ばれた人間だろう。では何の為に呼ばれたのか? 俺はDの職業は医者だと思う」
「その根拠は?」
「確固たる根拠は全くない。ただ乗っていた車が街に走り去っていったところを見ると、街から来たんだと思う。夜にわざわざ街からやって来た点、そしてMさんが弱々しく見えたのが麻生の感傷的なものではなく本当に弱っているとしたら?」
「でもよ、部長」
琴似が煙草を灰皿に押し付けながら、
「もし夜中に医者が飛んでこなきゃならん病気なら、普通は乗用車じゃなくて救急車が来るんじゃないか?」
「そうでもないよ、琴似君。だって救急車なんて呼ばなきゃ来ないしさ」
「そう。本人や家族が呼ばなければ自宅に来ない。つまり救急車は望んでいないんじゃないか? あくまでも近所には知られずに医者を必要とした。しかも、もしかしたらMさん自身は医者に診られることすら望んでいないのかもしれない。その理由はMさんが顔役としての意地みたいなものから来てるんじゃないだろうか」
「確かに、本人が望んでコッソリと医者に診てもらいたきゃ、目立たないよう病院に自分で行けば良いんだからな」
「でも行ってない。だからDが来たと考えた場合、俺はDが夜中に来た理由も説明が付く。要するに本人が望んでいないから、Mが寝てから診てもらっていると」
ここまで来ると大いに推論であるが、それでも根拠がまるでない訳でもない。
一つに、MさんはDが帰った次の日は朝から一応、畑仕事には出てきている。二つ目にMさんは泥棒を単に否定しているだけで、その後に自分の家に向かおうとしている麻生を止めるような真似はしていないのに反して、Mさんの奥さんは強い口調で麻生を追い返している。
つまり、MさんはDを本当に知らない。そして彼の体を蝕んでいるものは、早急に手を打たなければならないほど悪化はしていない。もしくは……
「もう無理を言ってまで病院に引っ張り込んでも手遅れの段階に、あるのかもしれない……まぁ後半は机上の空論だから、Mさんは本当にお年を召されただけかもしれないがなぁ」
私は一通りの意見を述べ終えた。気が付くと、指に挟んだ煙草がほとんど灰になっていた。危うく指を火傷するところであった。結局、一口も吸わずじまいで灰皿に投げ込むと、すぐもう一本取り出した。ディスカッションの余韻という訳でもないが、どうもみんなすぐに席を立つ様子ではないからだ。
「……あれ?」
不意に、澄川女史が頬杖付いた顔を上げた。
「部長。じゃあ、Dがふら付いていたっていうのと、野菜泥棒の件はどう説明付けるの?」
「あぁ、それな。さっきの麻生見て思いついたんだけどさ、Dは足が痺れてたんじゃないかなと思って」
「足が痺れてふら付いてたってのか、部長?」
「まぁ、そうすればMさんが寝ている隙に診療したということに繋がると思ってさ。別にMさんの家に上がった訳じゃないから分からないけど、一般的にMさんくらいの年齢の人って布団が多いだろ? そこに寝ているMさんを見る場合、そしてその診断結果なんかをMさんの奥さんに説明する時、Dは真面目な性格から正座を崩さなかったんじゃないかとな」
「どうしてDが真面目だって言えるんだ? 医者だからってのはこのご時世、根拠にはならんぞ」
「車に乗って五分間、足の痺れが取れるまでエンジンすら掛けなかった。これは周囲への騒音被害に配慮した行為だと俺は思う。あと、野菜泥棒に関してもDの真面目さを説明するのに繋がる。多分、野菜はMさんの奥さんが診療代とは別に持っていってくれと言ったんだと思う。俺の親戚だけかもしれんが、祖母ちゃんとかって結構いらないもの好意でくれたりするだろ? 普通の医者なら夜中に呼ばれてしかも自分で捥いまでトウキビなんていらないと思って、遠慮という建前でさっさと帰ると思わないか? スーツ姿だし、診療道具入れた鞄まで抱えてだぞ? だけど、Dはやっぱり真面目だから一応、貰って行ったんじゃないか? 少しだけ」
「何か、Dがすごい良い人に思えてきたから不思議。人間って適当だよねー」
自ら好んでは吸わないものの、周りがやっていると吸いたくなるらしい澄川女史が、見た目が可愛いという理由だけで吸っているパンダという煙草を咥えて笑う。ちなみに度数は思った以上に重く、見た目とは裏腹な銘柄である。
「澄川さん。適当で不思議といえば、もう一つあるじゃない?」
「あ、D?」
「そう」
私は、濱マイクに憧れてという正当な理由でチョイスしたチェリーの紫煙を吐き出しながら頷いた。おそらく澄川女史は最初、泥棒だからDと符丁を付けたんだろうが……
後日――
次のディスカッションで、私たちは麻生からの報告を受けた。
気になってあの後、実家の母親にMさんのことを訊ねたらしい。麻生の母親曰く、彼が実家を後にしてから数日後、今度は救急車がMさんの家に飛んできたらしい。Mさんは近隣の病院に運ばれて入院をすることになったそうだ。顔役の意地も、病には勝てなかったようである。
命に別状はないらしく、お見舞いに行った麻生の母親は息子さんにとMさんの奥さんからダンボールを一箱渡されたという。追い返したことを気に病んでいたらしい。麻生の下宿先に届いたダンボールには、新鮮なトウキビが山ほど詰まっていたという。
「俺は今回のことで一つ学んだことがある」
「何だよ、麻生?」
「……やっぱ、朝からトウキビはないわ」
後日談を聞くために集まったのに結局、麻生の部屋で夜通し飲み倒した私たちは翌朝、茹で上がり皿に山積みになったトウキビを前にして無言で頷いたのであった。(終)
PR |
カレンダー
フリーエリア
最新記事
(05/25)
(12/14)
(06/06)
(06/03)
(05/30)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
福田 文庫(フクダ ブンコ)
年齢:
40
性別:
非公開
誕生日:
1984/06/25
職業:
契約社員
趣味:
コーヒー生豆を炒る
自己紹介:
24歳、独身。人形のゴジラと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。
ブログ内検索
カウンター
|